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金寛鎮と金格植、宿命の南北ライバル時代に幕

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.05.14 10:10
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韓国国防部の金寛鎮(キム・グァンジン)長官と金格植(キム・ギョクシク)北朝鮮人民武力部長の8年にわたるライバル関係が幕を下ろした。北朝鮮が13日に人民武力部長を交替した事実を公開しながらだ。

2010年12月に国防部長官に就任した金寛鎮は、就任直後に執務室に当時の金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長と金格植4軍団長の写真をかけるよう指示した。「敵将の考えを読むためには常に顔を向かい合わせなければならない」との考えからだ。韓国の国防部長官に相当する人民武力部長は金永春だったが、金寛鎮は金格植に目が行った。金寛鎮が3軍司令官に赴任した2005年から休戦ラインを挟んで対峙してきたためだ。カウンターパートでありライバルだった。金寛鎮は時間ができる度に金格植の写真を眺め、「きょうはどんな挑発をしようと考えをめぐらせているだろうか」と考えていたというのが長官秘書室関係者の説明だ。

金寛鎮が2005年4月に休戦ライン南西部地域を担当する3軍司令官に赴任した当時、金格植は先に休戦ラインの向こうで黄海北道平山(ファンヘブクド・ピョンサン)の2軍団長を務めていた。ソウルと首都圏を攻撃対象にしている2軍団は北朝鮮軍の核心中の核心戦力だ。1994年から10年以上ここで勤務した金格植は目を閉じても作戦指示ができるほどに韓国側の地理と事情に明るかった。そこで金寛鎮は「敵を知り自分を知れば百戦百勝」という孫子兵法を考えながら金格植の頭の中をのぞき見るのに多くの時間を割愛した。

金寛鎮が19カ月ぶりに韓国軍の作戦を総括する合同参謀本部議長に異動し2人の関係は整理されるようだったがライバル関係は続いた。金寛鎮に続き5カ月後の2007年4月に金格植が北朝鮮軍の作戦総括である総参謀長に任命されたためだ。この期間には2度目の南北首脳会談(2007年10月)が開かれるなど南北和解ムードが作られていたが、「『戦争を忘れれば必ず危機がくる』という“忘戦必危”の精神を忘れないよう努力した」というのが参謀らの話だ。

2010年11月に延坪島(ヨンピョンド)砲撃戦を経験し2人の駆け引きはさらに進んだ。金寛鎮が2008年に合同参謀議長から退いた後米国留学を終え帰国して野人として生活する間に4軍団長に移動した金格植は延坪島に砲弾を浴びせた。偶然にも延坪島砲撃の翌日に金寛鎮は国防部長官に就任した。それから「北朝鮮が挑発する場合には『先に措置、後で報告』『100倍、1000倍の報復』をせよ」という指示を与えた。

昨年11月に今度は金格植が人民武力部長に上がった。再び敵将として相まみえたのだ。以後2人の対立点は増した。北朝鮮が核実験を行い韓米合同訓練に反発して危機を高めさせながら南北間の緊張は高まった。金長官は北朝鮮が恐れる核搭載戦略爆撃機と原子力潜水艦などの派遣を米国に要請し対抗した。「開城(ケソン)工業団地に滞在する韓国人労働者が人質になる場合には特殊部隊を投じて救出する」という発言もした。金格植も開城工業団地閉鎖決定を下すのに参加したメンバーとされている。

宿命のライバルだった2人の対決は金長官が先にさやを収めるところだった。朴槿恵(パク・クンヘ)政権発足後、国防部の新長官に金秉寛(キム・ビョングァン)氏が指名されたためだ。しかし金長官は留任し、金格植は人民武力部長任命から8カ月でその座から退いた。

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    2013.05.14 10:10
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    韓国国防部の金寛鎮(キム・グァンジン)長官(左)と金格植(キム・ギョクシク)北朝鮮人民武力部長。
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