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【コラム】前報道官のセクハラ問題、青瓦台はなぜこうなってしまったのか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.05.13 13:21
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現代史において青瓦台(チョンワデ、大統領府)は政権の中心だった。青瓦台がしっかりしていれば政権は生き延び、青瓦台が揺れれば政権は死んだ。朴槿恵(パク・クネ)の青瓦台が大きく揺れている。朴槿恵は政権を殺すのだろうか、生かすのだろうか。

朴正熙(パク・チョンヒ)の青瓦台は生きるも死ぬも体験した。1970年代中盤までは青瓦台は健全だった。信念に満ちあふれ紀綱がしっかりしていた。当時の青瓦台の番人は金正濂(キム・ジョンニョム)秘書室長だった。彼の在職記録である9年2カ月は歴代最長寿だ。ほかの国でも珍しい。

 
彼が一番重要だと考えたのは紀綱だった。回顧録『ああ、朴正熙』で彼はこのように記している。「私は、青瓦台秘書室をかさに着たような行いを減らすための措置を取った。すべての職員に青瓦台勤務を表示する名刺の作成と使用を禁止させた。違反した場合には一緒に仕事をすることができないという確固たる意を伝えた」。

70年代の青瓦台は国家建設の司令部であった。重化学工業、防衛産業、セマウル運動を推進する心臓部であった。業務は戦闘であり、秘書官は野戦戦闘部の隊長だった。実際に秘書官が殉職したこともあった。

77年5月、前線地域武器試験場。国産バルカン砲を射撃したところ砲弾が突然止まった。薬室を開いた瞬間、その後ろに立っていた経済第2主席室の防衛産業担当イ・ソクピョ秘書官が胸をおさえて倒れた。流れ弾に当たったのだ。当時の朴正熙大統領は悲痛に沈んだ。オ・ウォンチョル経済首席はこのように話したという。「閣下、戦友の遺体を乗り越えて前進いたします」。

78年12月金正濂室長が離れ、金桂元(キム・ゲウォン)体制に入った。秘書室は車智澈(チャ・ジチョル)警護室長に抑え込まれた。車室長と金載圭(キム・ジェギュ)情報部長が暗闘を繰り広げても秘書室長は何の役割も果たせなかった。政権管理能力を喪失したのだ。10カ月後、大統領は情報部長の銃弾に倒れた。

歳月が流れ、青瓦台からはますます権威と道徳性が失われた。全斗煥(チョン・ドファン)の青瓦台は第5共和国圧制の司令部であった。盧泰愚(ノ・テウ)の青瓦台では朴哲彦(パク・チョルオン)特別補佐官とキム・ジョンイン経済首席がわいろで収監された。金泳三(キム・ヨンサム)の青瓦台は洪仁吉(ホン・インギル)首席秘書官が韓宝(ハンボ)グループのロビーにひっかかった。金大中(キム・デジュン)政権では韓光玉(ハン・グァンオク)、朴智元(パク・チウォン)ら秘書室長が刑を受けた。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)の青瓦台も例外ではなかった。朴正圭(パク・チョンギュ)民政首席が泰光実業の朴淵次(パク・ヨンチャ)会長から当時1億ウォンの商品券をもらい拘束された。李明博(イ・ミョンバク)の青瓦台では秘書官がロビイストと交わって検察に呼ばれた。

腐敗だけではない。無能ぶりと権威不足も深刻な問題だ。青瓦台の広報首席や報道官ならば政権の改革理論家らしい実力を備えていなければならない。新聞社の論説委員らと晩餐を共にしながら討論で攻防するべきだ。政権の哲学と大統領の考えを堂々と理論的に繰り広げるべきなのだ。

そして、そうするのであれば内功で武装しなければならない。歴代政権の歴史と人物を幅広く見通して、韓国や世界についての知識と洞察力を備えなければならない。知識人の中の知識人であってこそできることだ。ところでいつからかこうした慣行がなくなった。経歴と力量が不足した人物が広報首席と報道官席を占めているのだ。もともと大統領の秘書だったからと、大統領を助けた386闘争家だと、そしてただ大統領が気軽に接することができると思うからと言って、その理論家の席が埋まった。そのような政権が、言論の尊敬を受けることができようか。

尹昶重(ユン・チャンジュン)前青瓦台報道官の事件は、青瓦台がどこまで壊れるのかを見せてくれる。まるで戦闘のような大統領の海外歴訪にインターン女子学生と酒を飲む報道官、酒に酔って夜明けにホテルを徘徊する報道官、被疑者をソウルに連れ戻して嘘をつく広報首席、国民の前に立ち突然大統領に謝る広報首席、互いに後ろ指をさす報道官と広報首席…。

大韓民国のように偉大な国の青瓦台が、なぜこのような様相になってしまったのか。この国には、そんなにも人物がいないのか。大統領はいったい人物を見る目があるのかないのか。韓国は89歳の金正濂を再び呼ぶべきなのか。

キム・ジン論説委員・政治専門記者

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