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「アラブ人が新羅に定着したという記録は多い」 韓国のシルクロード研究者(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.03.26 14:03
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--より直接的な交易の証拠が必要では。

「装飾宝剣を例に挙げることができる。これは5、6世紀にローマから地中海を通って新羅に入ったものだ。韓国だけで発見される。またアラブ系、西域系の遺物も多い。代表的なのが乳香と安息香などアラブ産の香料、新羅古墳・寺院から出土する各種ガラス器具、一般庶民も愛用した瑟瑟(西域産宝石)や玉のような嗜好品、短剣や埴輪がある。統一新羅も西域に物を輸出した。地理学者イブンフルダーズベーは歴史地理書『諸道路及び諸王国地』(845年)で、絹、剣、麝香、沈香、鞍、貂皮、陶器、帆布、肉桂など11品目を挙げている」

 
--どのような経路でシルクロードが慶州まで続いたのか。

「すでに陸路、海路ともにあるという研究結果が発表されている。陸路を立証した史料は燕(BC323-BC222)で作られた貨幣の明刀銭だ。明刀銭は古朝鮮・高句麗・渤海で主に発見され、慶州と南海にいたるまで幅広い地域で発掘されている。これは陸路を通じた交流を表す事例であり証拠だ。こういう遺物を見れば、シルクロードが韓半島まで達していたことを推定できる」

--なぜ「シルクロード韓半島延長説」はあまり知られていないのか。

「きちんと研究をし、これを知らせようという努力がなかった。2000年に『イスタンブール-慶州エキスポ』で初めて私たちが地図に点線ではあるがシルクロードを表現して展示した。慶州から西安までを“シルクロード”と広報している。最近はもう少し堂々と努力している」

--日本も「シルクロード延長説」を主張するが、根拠はあるのか。

「かなり努力している。しかし日本は島だ。韓半島を通じて日本まで行ったが、陸路ではない。日本は私たちのように埋没遺物、地上遺物がない。奈良県の東大寺にある王室の遺物倉庫に行けば、新羅遺物や西域遺物がある。日本側はそこにある新羅遺物も西域との交流の証拠と主張する。シルクロードの地図も別に作り、海路が日本にまで続いたという」

--シルクロードが韓半島まで続いていたということは何を意味するのか。

「かなり以前から韓半島は世界と疎通していたという点が改めて注目される。シルクロードと関連した国や国民および研究者にとって新鮮な衝撃であり、文明交流の通路であるシルクロードの活性化に世界史的に寄与することになる。シルクロードは砂漠や海水に埋もれた死んだ道ではなく、生きて呼吸する道だ。道端の一つの草、土器の欠片、色あせた壁画1枚、崩れた家の跡など…。すべてのものが無言で昨日を知らせ、今日を悟らせ、明日を眺めさせる。シルクロードは遠くても近くの私たちの中にある道だ。苦行とロマンが共存する道でもある。その意味を大切にしなければならない」(中央SUNDAY第315号)


「アラブ人が新羅に定着したという記録は多い」 韓国の嚃ルクロード研究者(1)

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