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3月11日午後2時46分…日本、希望の時間に変わる

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.03.12 10:47
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3坪余りの仮設住宅の居間の壁に張られた31枚の写真。

長女の琳ちゃん(当時6歳)は幼稚園の運動会で元気に手をあげている。二女の麗ちゃん(当時4歳)はおにぎりを手にあどけなく笑っている。そして2人の娘の姿を眺める妻の牧恵さん(当時36歳)の姿。

「自慢の娘たちでした。妻は、僕の一目ぼれなんです」。

写真のすべてが岩手県陸前高田市の新田貢さん(49歳)にはあたり前の幸福だった。しかし2年前の津波が3人を奪った。しばらくは1枚の写真も張れなかったという。

「写真を見ると泣いてしまって。3人が見つかってから、もう毎日泣き続けました。気がおかしくなるんじゃないかというぐらいに。僕、8歳のときに母親を亡くしたんです。大工の棟梁(とうりょう)だったおやじが、ぼろぼろと泣きました。子どもながらにショックで、以来、僕は泣いてない。息子にも『男は泣くな』と言い続けてきたんですけど」。

新田さんは現在息子の佑君(11歳)と2人で暮らす。父の言葉のためか3・11の時も佑君は新田さんの前で涙を見せなかった。

「家では泣かない子が実家のこたつに入って泣いていたそうです。我慢していたのかと、つらくなりました。それからです。涙が出ても、自分を抑えられるようになったというか」。

新田さんは気を引き締めて妻と娘の写真を再び取り出した。

朝日新聞は3月11日の東日本大震災発生2年を迎える11日、社会面で新田さんのストーリーを紹介した。津波で妻と2人の娘を失い息子と2人で生きる新田さんのこの2年の心的苦痛と逆境、再出発の姿を通じ、「涙をふいて力強く前に向かって歩こう」というメッセージだ。

昨年夏に陸前高田を訪れたある僧侶に会ってから新田さんの生活は180度変わった。

「娘さんや奥さんの姿は、見えないかもしれない。でも、いつも近くに寄り添ってくれていますよ」。

その言葉を聞いてから夢に娘と妻が出てくるようになった。うれしくて夢の中で娘を抱いて大声を出した。妻とは夢の話を交わした。また会いたい。その日から新田さんは毎日早く床につくようになった。

新田さんは佑君を連れ韓国やモンゴルを訪れた。「僕らが楽しいところに行けば、琳も、麗も、妻も、一緒に楽しんでいる。そう思うようになりました。妻と結婚するときに、『どこにでも連れて行ってやる』なんて言っていたんですが。死んでからになってしまいましたね」。

いまでは各地でお土産を買ってきて壁にかかった妻と娘の写真の合間に飾るのが喜びになった。

「2年前、自分の人生はこれで終わった。開き直って生きよう。いまはそう思っています」。

一方、日本政府は11日、東京国立劇場で天皇夫妻と安倍晋三首相らが参加する中で東日本大震災2周忌追悼式を開催した。1万5881人の死者、2668人の行方不明者が発生した宮城・岩手・福島の各被害地域をはじめ日本各地で地震が発生した午後2時46分を期して一斉に黙祷を捧げた。

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