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【コラム】閉じられた社会、韓国(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.03.11 15:06
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未来創造科学部初代長官候補であった金鍾勲(キム・ジョンフン)前米ベル研究所長が4日に辞退し、その翌日韓国を離れた。複雑な事情があったにせよ突然韓国を後にした金候補が名残惜しい。難しくとも検証の高い波を越えて私たちの社会に新鮮なビジョンを提示してくれることを期待していたからだ。単に情報通信技術(ICT)の融合といった懸案だけではない。急速に多文化・多人種化しているのに血統・愛国心・国家主義などから依然として抜け出せずにいる私たちの社会の現実を共に悩む機会が消えてしまうのだ。

金候補が直面した最も大きい質問は“アイデンティティ”だった。言い換えれば、金候補者に「あなたは誰なのか、どこの国の人なのか」を明らかにしろと要求したわけだ。

金候補の立場で見ようとするなら、それは憤まんやるかたない質問だ。なぜなら本人は選択できない状況で幼いころに移民し、最善を尽くして生きてきた中で自然に米国国籍を取得したからだ。また、韓国に戻る時には国籍を回復するとあらかじめ明らかにしていた。これ以上の措置が必要だとは思いもしなかっただろう。

だが、私たちの社会は血統・国籍問題について特別な感情を持っている。個人の能力や人柄、成果を問い詰める前に“私たちなのか、その他なのか”から問い詰める認識の枠組みから脱することができなかったのだ。このような思考の背景には、愛国心や血統は純粋なものだから“違うもの”と混ざれば傷つけられるという認識がいつのまにか隠れている。これは憶測ではない。著名な多文化主義(muti culturalism)理論家であるカナダの政治哲学者ウィル・キムリッカ(Will Kymlicka)は「国家主義者は、人々が個性を発揮して外国の多様な文化を経験することになれば愛国心が低下すると憂慮する」とし「違うものが割り込めば愛国心が低下するというような、ゼロサムゲームで理解するため」と話した。国家主義が全体主義につながる理由の説明としてよく出てくる話なのだが、これは私たちの社会にも適用されうる部分なのだ。(中央SUNDAY 第313号)
【コラム】閉じられた社会、韓国(2)


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