太陽光農業で復活の夢…福島県の逆発想(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.03.04 17:47
「生きているのが一番つらい。 周りに知り合いもいないし、大地震の後、いったいどれほど転々としてきたか分からない」。
福島第1原発から北に24キロほど離れた南相馬市原町区の牛越仮設住宅。 先月28日、この仮設住宅で会った花房サハ子さん(81)はこう話した。
花房さんは2011年3月11日の大地震・津波で家族を亡くし、一人になった。 2年が過ぎたが、絶望感はむしろ深まった。 南相馬市は津波・原発事故など複合災害地だ。 原発付近にあるため避難が避けられなかった。 花房さんのように、牛越仮設住宅の入居者350人のほとんどは原町区より南にある小高区に暮らしていた。 小高区のほとんどの地域は福島第1原発から半径20キロ以内にある。 昨年4月に警戒区域から解除されて出入りが可能になったが、そこに戻って定着した人はほとんどいない。 放射性物質の除去と上下水道の復旧が進んでいないからだ。 南相馬市役所の小高区担当者は「放射性物質に汚染された廃棄物を捨てる場所を確保できず、汚染物の除去に進展がない。水道も2014年3月に復旧する予定」と述べた。