【コラム】日本製を買うことが独島を守る(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.02.25 11:18
百年前、日本人漁夫・中井養三郎のアシカ漁の実力が思わしくなかったのは、韓日関係にとって大きな不幸だった。
中井は1904年、独島(ドクト、日本名・竹島)の日本編入を要請し、紛争の種をまいた張本人だ。中井は朝鮮には電気もなかった1885年、船上の空気タンクとつないだヘルメットをかぶって水中の海産物を獲った先端ベンチャー事業家だった。ただ、アシカ漁の腕前はよくなかったようだ。独島(ドクト、日本名・竹島)へアシカ漁に行ったが、他の漁夫より劣り、収穫が十分でなかった。結局、中井はアシカ天国の独島を独占することを決心した。中井は当初、この島を韓国の領土と信じていたようで、朝鮮に独占許可を申請しようとした。しかし所属が不確かであることを知ると、考えを変えた。島を日本の領土に編入させた後、独占しようとしたのだ。中井は独島に対する領土編入要請書を日本当局に出した。日本内閣はこれを承認した後、1905年2月22日、島根県官報に載せた。「竹島の日」が2月22日になった理由だ。中井のアシカ漁が順調だったなら、独島紛争は存在していなかったかもしれない。