주요 기사 바로가기

韓国で繰り返される新旧権力の対立

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.02.03 12:48
0
30年の知己を後継者として大統領にしても効果はなかった。同じ政党の出身者が政権再創出をしても同じだった。新権力と旧権力が対立を生じさせ決別する悪縁は1987年の民主化以後26年にわたり韓国政治で繰り返されてきたパターンだ。

全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領は1988年11月に江原道(カンウォンド)の白潭寺(ペクタムサ)に追われるように入った。光州(クァンジュ)民主化運動と第5共和国の不正に対する責任を問う世論を避けるためだった。大統領を退任して9カ月だった。直接後継者として立てた陸軍士官学校同期生の盧泰愚(ノ・テウ)大統領(当時)はこのような状況を幇助した。第5共和国清算論を掲げ青瓦台(チョンワデ、大統領府)にいた全元大統領と近い軍出身者を大挙解任した。

 
盧泰愚元大統領も次の政権で後頭部を殴られた。盧元大統領は自身が率いた民主正義党などの支援で92年に金泳三(キム・ヨンサム)氏を大統領に当選させた。だが、3年後に金泳三大統領(当時)が「歴史を正しく立て直す」として司法処理の対象になった。反乱罪・内乱罪・収賄罪で大法院(最高裁に相当)から懲役12年の刑を宣告された。全斗煥元大統領には死刑が宣告された。彼らは金泳三元大統領が退任直前に国民大和合を名分として特別赦免したが約2年にわたり収監生活に耐えなければならなかった。

金泳三元大統領も金大中(キム・デジュン)政権で二男の金賢哲(キム・ヒョンチョル)氏の問題で苦労した。金泳三元大統領は一生のライバルであり民主化運動の同志であり97年に大統領に当選した金大中氏に韓宝不正事件で裁判を受けていた息子の賢哲氏に対する善処を頼んだ。金大中元大統領は政権発足後に赦免を推進するよう指示した。しかし参謀の反対などを理由に1年余りが過ぎてから残刑免除をさせ、2人の関係はねじれていった。

金大中元大統領は2002年12月の大統領選挙で勝利した盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏を4日後に青瓦台の昼食に招き、「すべてがうまくいった」と満足感を示した。だが、盧武鉉氏は金大中政権時代に南北首脳会談の代価として北朝鮮に数千億ウォンを渡したという違法送金事件に対する捜査を注文した。執権後に野党だったハンナラ党が対北朝鮮送金特別検事法を発議するとすぐに与党の民主党と進歩団体の反対でも特検を受け入れた。金大中元大統領はこれを強く批判したがなにも変わらなかった。金大中元大統領の側近である朴智元(パク・チウォン)元大統領秘書室長が懲役3年の刑を宣告された。

盧武鉉前大統領も李明博(イ・ミョンバク)政権とことあるごとに衝突した。国家機密である大統領当時の記録物を不正に持ち出ししたという疑惑がふくらんだ。

李明博政権は盧武鉉政権の人たちを大挙入れ替えた。対立は2009年に盧武鉉前大統領夫人の権良淑(クォン・ヤンスク)氏が金品を授受したとの疑惑が出て盧前大統領が検察捜査を受けたことで頂点に達した。結局は盧前大統領の自殺という憲政史上初めての悲劇で幕を下ろした。(中央SUNDAY第308号)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP