「日本皇太子が頭を下げて通るのは…」 ソウル崇礼門の城郭を撤去(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.01.08 14:48
朝鮮時代の漢陽は18.6キロの城郭で囲まれていた。崇礼門(スンレムン=南大門)は、外交使節が王に会うため城内に入る際に通過する漢陽都城(ソウル城郭)の正門だった。
しかし東は南山(ナムサン)、西は西小門につながる崇礼門の両側の城郭は、大韓帝国末期の1907年から取り壊されていった。このため私たちの記憶の中の崇礼門は、城郭とはつながっていない、石築の上に二層の門楼が建った姿として残っている。
2月中に姿を現す崇礼門の最も大きな変化は両側の城郭の復活だ。文化財庁は周辺の交通を妨げない範囲内で東側に53メートル、西側に16メートルの城郭を再建した。