【噴水台】戦争も可能という日本…錯覚してはいけない、今は過去とは違う
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.12.20 10:30
私は古いものが好きだ。生活、服、レコードまで。欠けた食器に込められた食べ物の記憶、服に残っている染みの瞬間、70・80年代の歌に出てくる海辺の思い出を捨てることができない。古い食堂に行けば皿も茶碗も欠けていて、傷んでいないものがない。同じように、それぞれの過去が込められた食器は傷んだまま、私の台所の棚にそのまま入っている。
いつか、おぼろげな過去の思い出に触れようと米ロサンゼルス近隣の“私の住んだ故郷”に寄ったことがある。家主に一部始終を説明すると、快く中に通してくれた。あれこれと子どもの世話に追われた当時のその場面が、家のあちこちからとび出してきた。長男のひざを血だらけにした庭の隅に突き出た石、二男が特に好きだった滑り台の階段、ごちゃごちゃと置いて食事の支度をした台所のカウンターまで。