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国が強くなった通貨危機15年、市民の暮らしは失われた15年=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.11.20 08:42
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1998年12月、キム・イェギュンさんは国民銀行を退職した。97年の通貨危機後に名誉退職(早期退職)が相次いだ時だった。当時の年齢39歳。職級や年齢に関係なくキムさんのように国民銀行を離れなければならなかった人はその年だけで2790人余り、全社員の20%に達した。他の銀行も同様だった。98年だけで銀行5行をはじめ97の金融機関が営業を停止した。キムさんのように職を失った人は6万8500人に上った。

15年が過ぎたいま、国民銀行は名実ともに韓国最大の銀行だ。長期信用銀行と住宅銀行を合併し成長を続けた。昨年の総資産は277兆ウォン(約20兆円)、当期純利益は1兆7660億ウォン。97年末と比較し総資産は5倍、当期純利益は約17倍にふくれ上がった。

 
同じ期間に国も強くなった。国家不渡りの悪夢を完全に振り払った。98年に3454億ドルだった国内総生産(GDP)は昨年1兆1162億ドルに増えた。97年には203億ドルまで落ち込んだ外貨準備高は3000億ドルを超えている。世界経済が足踏み状態の中、今年9月に韓国の格付けはむしろ一段階上がった。

キムさんいま、ソウル市内の市場で鶏を揚げている。これまで画廊と肥料工場、文具店をやったがすべて失敗した。2度目に事業をたたんだ2001年に30坪台のアパートを失った。4人の家族はいま部屋2つの借家に住む。2008年に糊口の策で始めたチキン店も厳しさを増している。当時9軒だった市場内のチキン店は29軒に増えた。大学生になった子ども2人の授業料の心配をする彼に老後資金の話を切り出すと怒りを見せた。「店の家賃を払うのも大変なのに老後の備えなんてどこにあるのか。15年間がんばってきたが追い詰められるばかりだった。通貨危機当時に辞めた銀行員の9割は私のように暮らしているようだ」と話した。

政府が国際通貨基金(IMF)に救済金融を申請して21日で15年を迎える。韓国は3年にもならない短い期間で再起し、国際社会の模範生として生まれ変わった。政府と企業、市場がすべて1~2段階ずつアップグレードした。しかしその裏では深い傷が依然残る。働き口を失い無気力になった父親、就職とともに希望までなくした息子や娘が急激に増えた。通貨危機は彼らに「失われた15年」の始まりにすぎない。

これは本紙が韓国リサーチと共同で実施したアンケート調査でも現われた。質問回答者の大多数は、「韓国は通貨危機をうまく克服した」(72.6%)、「大企業はさらに活動しやすくなった」(80.8%)と答えた。しかし同時に絶対多数が「庶民の暮らしはもっと厳しくなった」(91.2%)、「危機克服過程で国民が犠牲になった」(92.6%)と考えていた。

専門家らは通貨危機後に生まれたこうした変化が社会の二極化をあおっていると話す。高麗(コリョ)大学経済学科のイ・ウジン教授は、「政府は外貨準備高だけ多く確保し経常収支さえ黒字なら『危機を克服した』と考えるが、これよりは庶民の暮らし向きに関連した指標が回復したかをまずチェックすべきだ。この15年間に進んだ中産層の貧困化をさらに放置しては社会発展に大きな障害になるだろう」と話している。

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