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すでに2度目の「金正男亡命説」、その政治学(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.11.11 12:28
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すべての亡命は様相が異なる。しかし激しい独裁からの亡命には共通要素がある。首を締められるような圧迫と秘密交渉に続く電撃決行だ。必ずひそかに交渉し迅速に動かなければならない。秘密が漏れれば失敗だ。死ぬこともある。最近金正男(キム・ジョンナム)亡命説がまた出てきた。説は事実だろうか。そうでなければ秘密が漏れたのだろうか。独裁者の前に失敗した亡命の試みは苛酷な弾圧を呼ぶはずだが試みは可能だろうか。すでに2度目となる金正男亡命説の政治学を探ってみた。

最初の亡命説が出た2010年4月ごろ、金正男の状況は緊迫していた。その1年前の2009年4月に平壌(ピョンヤン)の側近の電話を受けた直後、金正男は突然シンガポールに身を寄せた。電話は平壌の金正男の側近が金正恩(キム・ジョンウン)の攻撃の前に壊滅状態であることを知らせた。当時情報関係者は、「金正恩が指揮する国家保衛部要員が、金正男がパーティーを楽しんでいた施設に押しかけ、会合中だった彼の側近を捕まえて行った」とした。こうした内容は2011年11月にソウルに来た脱北者のチャン・ギルホ氏も確認した。彼は「金正恩のにせの集まりの工作に引っかかり集まった金正男の側近らが銃撃戦の末に一網打尽された」とした。当時側近は衛星電話で状況を知らせ、興奮した金正男の声が通信盗聴網にかかった。金正男は「ちくしょう、若い奴が私を殺そうとするのか」と興奮したが、海外を渡り歩く境遇では権力中心部にいた弟にはかなわなかった。しかも2004年10月にもオーストリアに行っていた金正男に対する暗殺の動きがあった。絶えない命の危険から今回も隠れなければならなかった。その後金正男がフランス対外情報局と秘密亡命接触をするという諜報が友好国の情報機関に把握され韓国に伝えられた。最初の亡命説はそうして明らかになった。

独裁権力の圧迫は亡命をそそのかす。黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)、フセインの婿のカーミル・ハサン、独裁者スターリンの娘スベトラーナの亡命がそうだ。

 
北朝鮮の朝鮮労働党秘書兼最高人民会議外交委員長だった黄長ヨプは1997年1月30日に13日間の日本訪問に出た。あらかじめ韓国の情報機関と接触していた彼は日本で亡命しようとしたが朝鮮総連の監視から断念した。2月11日に北京に到着した翌日午前9時5分に彼は韓国総領事館に駆け込んだ。北朝鮮が驚くほどの電光石火だった。

イラクのナンバー2だったフセイン・カーミル・ハサンも似ている。95年8月7日にイラクの首都バグダッドのイラン・イラク戦争終戦7周年記念大宴会で大統領補佐官であるワトバーン・イブラーヒーム・ハサンが銃撃を受けた。フセインの長男ウダイがカーミルの側近である彼を暗殺しようとしたのだ。銃口が自身に近づくのを察したカーミルは翌日砂漠を横切って隣国ヨルダンに脱出した。

ソ連の独裁者スターリンの娘スベトラーナも電撃亡命した。父の死から10年後の63年、彼女はモスクワのインド共産党員のブラジェシ・シンと愛に陥った。3年の短い愛。シンが死んで彼女は恋人を火葬した遺灰をまきにインドに行った。そこで滞在8カ月が過ぎた67年3月6日にニューデリーの米大使館に亡命した。伝説のKGBも気づかなかった。ソ連は驚いたし世界も驚いた。4月も中国・北京の米国大使館に亡命した視覚障害人権弁護士の陳光誠も迅速だった。


すでに2度目の「金正男亡命説」、その政治学(2)

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