【噴水台】朝鮮通信使の遺物・遺跡、韓日共同でユネスコ遺産登載しよう
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.10.26 12:06
武藤正敏(64)駐韓日本大使が約2年間の韓国勤務を終えて今月20日、日本に戻った。個人的に武藤大使は2つの点で長く記憶に残るようだ。恐らく韓国語に最も堪能だった駐韓日本大使、そして最も苦労が多かった大使ということだ。韓国と40年近い縁があったからこそ言語もそのように堪能だったとしよう。国と国の間に波が多く立てば外交官も忙しくて疲れるものだ。歴代の日本大使の中で忙しくなかった人はいなかったが、武藤大使が在任していたときの韓日関係はそれこそ最悪だった。
昨年12月19日、ソウル城北洞(ソンブクドン)駐韓日本大使官邸でこじんまりと夕方の集りがあった。日本の近藤誠一文化庁長官とキム・ドンホ釜山(プサン)国際映画祭名誉委員長ら両国の数人の要人が参加した。武藤大使は韓日首脳会談随行のため京都を訪問中だった。国立中央博物館の行事で訪韓した近藤長官に家主が席を貸した形だった。ところが午後9時ごろ、武藤大使が戻ってきた。北朝鮮がこの日、金正日(キム・ジョンイル)委員長の死亡事実を発表したため、急きょ帰国したということだった。疲れ切った大使の一言がはっきり思い出される。「本当に長い一日だった」。ある人が「首脳会談はどうだったか」と尋ねたところ、沈痛な表情で「殺伐だった」と話した。