【コラム】ビスマルクはこうした=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.10.05 15:58
大統領候補3人のキャンプに外交・安保専門家が集まっている。 彼らは執権さえすれば、北朝鮮と韓中間、韓日間の領土葛藤と過去の歴史を含む難題を一気に解決するという勢いだ。 しかし韓国と世界の外交史を見ると、一国の国王と大統領と首相に文化的素養(cultural literacy)で武装された戦略的な思考能力がなければ、その国は限られたパイをめぐり激しく争う国際社会で、消極的には自分の持ち分を守り、積極的には対外的に国の位置づけを高めるということはできない。 この問題と関連し、歴史学者のポール・ケネディ・エール大学教授が先月21日、中央日報で洪錫炫(ホン・ソクヒョン)会長と対談しながら指摘したビスマルクの戦略的な外交事例は、李明博(イ・ミョンバク)大統領と大統領候補3人にとって貴重な教訓になりそうだ。
1862年にオットー・フォン・ビスマルクがプロシアの宰相に就任した当時、今日の私たちが知っているドイツという国はフランス保護国ライン連邦、ホーエンツォレルン家のプロイセン、そしてハプスブルク家のオーストリアに分割され、それぞれの国の中に多くの王国と公国と自由市が乱立していた。 そしてドイツ全体を含むヨーロッパの秩序は1814年、オーストリア、ロシア、英国が主軸になり、ナポレオン戦争の勝利国で始めたウィーン体制(wien system)で維持されていた。 ビスマルクはドイツの安保にはウィーン体制が必須だという神話を破り、オーストリアを除いたプロイセン中心にドイツを統一しなければならない、大きな挑戦の前に立った。