【コラム】100年前のソウル、また故宮を出ながら
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.05.03 18:13
詩人の金洙暎(キム・スヨン、1921-68)が1965年に書いた詩「ある日、故宮を出ながら」を80年代の大学時代に接した時、その故宮は徳寿宮(トクスグン)ではないかと思ったことがある。 金洙暎がそう明らかにしたわけではないが、一度頭の中に生じた考えは容易には抜けない。 徳寿宮を通り過ぎる時、「なぜ私は小さなことばかりに憤慨するのか」で始まる詩をよく思い出す。 先週、哲学者のカン・シンジュ博士が出した『金洙暎のために』を読みながらもそう思った。
徳寿宮付近に行く時は少し回り道になっても、石垣道に沿って貞洞(チョンドン)一帯を見回る。 開化期の朝鮮が西欧列強に門戸を開放して前へ進もうとした近代史の記憶があちこちに染み込んでいる。 米国・英国・イタリア・ロシアなど朝鮮と修交を結んだ各国公使館が次々とできた。
110年前に大韓帝国を訪れた外交官の中にイタリアの公使カルロ・ロセッティ(1876-1948)がいた。 26歳の現役海軍中尉として赴任したロセッティの人類学的な関心は非常に大きかったようだ。 1902-1903年に勤務しながらロセッティが撮影したり収集したソウルの風光と貴重な資料の展示会が今、貞洞から歩いて10分の距離にあるソウル歴史博物館で開かれている。 ロセッティが残した写真には110年前のソウルが見える。 東大門(トンデムン)から鍾路(チョンノ)につながる道沿いには瓦の家の村もあったが、その他の地域は草ぶきの家が多い。 田畑に囲まれた草屋、人の服装、食べ物を今日と比較すると、この100年間にソウルは実に大きく変わった。 ロセッティが描いた韓半島地下資源分布地図も目を引く。