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【コラム】「私たちの世代に日本に追いつけるだろうか」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.04.13 10:28
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「日本はずっと先を進んでいた。私たちの世代には絶対に日本には追いつけないという絶望感を感じた」。

尹鍾龍(ユン・ジョンヨン)元サムスン電子副会長が2年前にこう語った。2年前にそう感じたということではない。30年前の1969年の衝撃を回想しながら述べた言葉だ。入社4年目だった尹鍾龍氏は、サムスン電子が設立されたその年、日本の三洋電機と松下電器(パナソニック)に行って研修を受けた。とうてい追いつけないという絶望感が尹氏を襲った。この時から尹氏の関心は「どうすれば日本に追いつけるのか」だった。

創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)会長が「日本から学ぶ」に総力を尽くした時期だった。後継者の李健煕(イ・ゴンヒ)会長も最初はそうした。「妻と子どもを除いてすべてを変えなさい」という新経営宣言も1993年6月に日本で始まった。言葉は「学ぶ」だが、実際は「コピー」だった。李秉喆会長の哲学からして「模倣は創造の母」だった。開発初期の不足した資金や技術のほか、経営方式、教育・訓練プログラムまでも日本からそのまま取り入れた。さらに国際政治など各種情報も日本が導入の窓口だった。李会長は新年を迎えると日本に滞在し、そこで得た知識と情報をまとめた「東京構想」がサムスンのその年の経営指針となった。

家電と半導体への進出も日本のためだった。三洋電機会長の勧めで1969年にサムスン電子が設立された。1983年の半導体進出も日本の半導体専門家から得た情報と知識の産物だった。資金と技術も日本から入れた。家電は三洋電機およびNECとの共同で生産し、半導体はシャープの支援を受けた。当時の最高は松下とソニーだったが、両社はサムスンを相手にしようとしなかった。「雉の代わりに鶏」という心情でサムスンが選んだのが三洋とNECだったほど、ソニーと松下は格別だった。

2000年代初期までもそうだった。当時はサムスン電子が世界トップ5に入るテレビメーカーに成長したが、ソニーは相変わらず難攻不落の世界トップだった。サムスンは小人、ソニーは巨人に例えられた。規模も大きかったが、ソニーは革新と創意の代名詞でもあった。当時のソニーは現在のアップルのような存在だった。1979年に登場したウォークマンは世界メディア機器の消費習慣を一挙に変えた最高のヒット作だった。
【コラム】「私たちの世代に日本に追いつけるだろうか」(2)


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