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【噴水台】日本社会に吹く「下山論」…うらやましいがつまらない論争

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.03.18 12:40
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「青春の門」は日本の作家五木寛之が書いた長編小説だ。日帝時代の九州の炭鉱村で生まれた伊吹信介の成長過程を青春の放浪と探索に焦点を合わせ7巻にわたり濃密に描き出した。42年前の初めての出版以来日本だけで2200万部が売れた。このほど韓国でも翻訳され、今年初めに1・2巻が出され、最近3・4巻が出版された。この数日、この小説を読み心をつかむ巨匠の吸引力を実感している。

五木が出したエッセイ集「下山の思想」が最近日本で話題という。昨年末の出版後すぐにベストセラーとなり、これまでに20万部以上が売れた。世界2位の経済大国の座から押し出されることにより日本が下山の道に入り込んだ現実を認め、安全に下り坂を踏んで降りて行こうというメッセージを含んでいる。五木は下山の道に入り込んだ現実から目を背ける日本人の態度は、太平洋戦争末期に沖縄まで米軍が上陸したのに敗戦を認めようとしなかった帝国主義の国民感情と違わないと指摘する。

 
昨年日本を強打した東日本大震災を契機に日本国内の一部学者の間に「脱成長論」が提起されてきた。「成熟ニッポン、もう経済成長はいらない」を書いた同志社大学の浜矩子教授が代表的だ。日本は世界最大の債権保有国であり、経済・社会的インフラを持つ成熟した国なのでこれ以上成長に執着する必要はないというのがその主張だ。円高が今後も相当期間続くことが明らかなのに成長論にしがみつく場合、新興国との輸出競争のため労働者は低賃金から抜け出すことができず、その結果内需不足にともなう不況が続くしかないということだ。成長を当然視する慣性的思考のせいで毎年3万人以上が自殺するなど国民が不幸になっているという五木の考えと同様の主張だ。

「下山論」に対する成長論者の反論も熱い。早稲田大学の深川由起子教授は、「日本が求めなければならない道は新しい登山道の入口に至る下山道にならなければならない。成長をあきらめれば財政維持が不可能になり、経済・社会インフラまで崩壊する」と警告する。成長の果実を味わうことができない若い世代は若い世代で、山頂で享受するものをすべて享受してきたお腹がいっぱいの老年世代の声とし下山論に揶揄と冷笑を送っている。

大きなことを体験すると人生観が変わるように、東日本大地震のとてつもない衝撃を経験した日本社会で下山論が反響を起こしているのも無理はない。下山しようと言ってはなから成長を止めようという主張はもちろん違うだろう。倒れない程度にだけ自転車のペダルを最大限ゆっくり踏もうという声だろう。だとしても頂上どころか7合目にも上がれなかった私たちとしてはうらやましいながらもつまらない論争に違いない。

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