【取材日記】「3・11後の1年」が残したもの
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.03.12 14:49
これまでに経験したことがなかった震動に驚いた日から1年が過ぎた。11日の読売新聞社会面の「戻らぬあなたへ」という記事を見て涙が浮かんだ。幼稚園児だった娘の愛梨ちゃん(当時6歳)に送る母(37)の手紙だった。「毎日くれた『ママ大好き』っていう手紙や似顔絵、こっそり捨ててごめんね。永遠にもらえると思ってたから。卒園式で『いつも大変なお世話をありがとう』って言おうとしてたって、先生から聞いたよ。愛ちゃんは6年で一生分、ママを愛してくれたんだね。一生、ママの宝物だよ」。
日本列島全体が復興を叫びながら一つになった1年だった。しかし現場を取材する記者の立場から見ると、変わったものはほとんどないように見える。少なくとも外形的にはそうだ。地震と津波が襲った現場は相変わらずだった。あちこちに数十メートルの高さのゴミの山があるだけで廃虚に近かった。「放射能の恐怖のためにゴミを受け入れるところがない」(陸前高田市・戸羽太市長)という説明だった。行方不明者も3155人にのぼる。避難生活をする人は約34万人。このうち職場を失って再就職できない人は40%。宮城県気仙沼で会ったおよそ60歳代の住民の「結局、被災者だけがかわいそうな立場に…」という言葉が胸を締めつけた。