【コラム】パリ韓国文化院長の哀訴(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.03.05 11:22
すでに4~5年前のことだ。英国で1年間研修する際にロンドン市内に出て行くと気持ちが高揚した。簡単にサムスンやLGの携帯電話、テレビを売る店を発見できたからだった。だが、そこまでだ。当時だけでも韓国は相変らず「電子製品の国」のようだった。映画を除くと韓国の文化はあまり知られていないようだった。
例えば2008年7月に小説家の李清俊(イ・チョンジュン)の他界のニュースは韓国人留学生だけのニュースだった。シェークスピアの国で彼を知っている人はなかった。その年2月に崇礼門(スンレムン、南大門)が放火で焼失してしまった時はちょっと違った。アジア系の学生たちは「君たちの国の国宝1号が焼けてしまったって?」と関心を示した。ある日本人の同級生は、崇礼門火災がインターネットポータルのヤフージャパンのニュース検索で1位になったと教えてくれた。きまり悪かった。反面、英国や欧州の友人は最初からそのようなニュースがあったのかさえ知らないケースがほとんどだった。そうした無関心をいっそ幸いに思うべきかこんがらがった。そのため昨年韓国の大衆歌謡「K-POP」欧州で呼び起こした熱風は新鮮だった。