【噴水台】北朝鮮住民の号泣に真心が感じられない理由
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.12.22 15:42
記憶に残る写真がある。 写真専門雑誌ライフ(LIFE)に掲載されたものだ。 1945年のフランクリン・ルーズベルト米大統領の逝去の翌日、グレアム・ジャクソンという黒人海軍曹長が村会館の前に集まった人々の前で、アコーディオンで「Going Home」を演奏している場面だ。 こみ上げる悲しみを何とか抑えている彼の頬の上を一筋の涙が流れる。 涙をこらえようと固く閉じる唇があまりにも悲痛で、他の追慕客の表情は見えない。 動きもほとんどなく、哀切な「新世界」交響曲第2楽章テーマも聞こえないが、これほど切々たる写真が他にあるだろうか。
抑えられた悲しみだけが感動的というわけではない。 激情的に表現される悲しみもある。 古代ギリシャの劇作家アイスキュロスの『ペルシア人』にこうした場面が出てくる。 人類最初の悲劇とされるこの作品で、アイスキュロスは、ペルシア王クセルクセス1世の悲痛を感動的に描き出す。 紀元前480年のサラミスの海戦が背景だ。 クセルクセスは自分の大艦隊が一握りにもならないギリシャ艦隊を、ネコがネズミを弄ぶようにするのをスペクタクルに楽しむため、海辺の高い丘に座った。