주요 기사 바로가기

韓米FTA、批准はしたが…後に残った手続きは?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.11.23 14:27
0
22日の国会で韓米自由貿易協定(FTA)批准同意案が処理された直後、崔今洛(チェ・グムナク)青瓦台(チョンワデ、大統領府)広報首席は「投資家・国家訴訟制度(ISD)」問題と関連し、「‘先に発効-後に再協議’は有効だ」と述べた。FTA発効後に設置される韓米共同委傘下のサービス・投資委員会で、ISD条項について議論するという約束を履行する、という意味だ。ISDはその間、国会批准の最大の障害物だった。ただ民主党はFTA批准に応じず、現在では「今はそんなこと(再協議要求)を考える暇はない」(金裕貞院内報道官)という立場だ。

また崔首席は「政府は国会での議論過程で提起された農民対策と中小商工人対策を積極的に反映するのはもちろん、韓国の農民と中小商工人の競争力が強化されるよう持続的に後続対策を用意する」とし「来年予想される世界経済の困難の中で、韓米FTAが韓国経済の活力を回復させ、特に若者の雇用が増えるように万全をつくす」と話した。

 
崔首席が青瓦台記者室でマイクを持って伝えた立場は、実際は李明博(イ・ミョンバク)大統領の発言だというのが青瓦台関係者の話だ。5泊6日間の東南アジア歴訪からこの日帰国し、午後3時30分に青瓦台執務室に到着した李大統領が、参謀とともに国会状況を見守りながら見せた反応を整理した内容という。また李大統領は洪準杓(ホン・ジュンピョ)ハンナラ党代表ら与党の要人に労をねぎらう電話したと伝えられた。続いて23日には韓米FTA関連緊急関係長官会議を主宰することにした。自ら国民に説明することも考えているという。

李大統領は韓米FTAのために3度の曲折を経験した。「米国と自由貿易をするべき」という所信の李大統領は、就任初年度の08年4月、米国産牛肉市場を開放することにした。批准に消極的な米議会を説得するためだった。しかしその結果はBSE(牛海綿状脳症)波紋だった。李大統領は2度も国民に謝罪した。

同年末、国会外交通商統一委ではハンマーまでが登場した暴力事態の中、批准同意案が上程され、一息つくかと思われたが、米国側でこじれた。その頃当選したオバマ大統領が候補時代から「韓米FTAに反対」という立場だったからだ。08年の米国発金融危機をきっかけにオバマ大統領は立場を変え、「FTA伝導師」になったが、今度は韓国の国会が遅々として進まなかった。反FTAが野党圏統合の輪になり、野党圏の反発の程度が強まった。結局、李大統領が批准案通過という結実を得るのに就任後3年270日かかった。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP