18世紀の朝鮮人もすき焼きやワッフルを楽しんだ(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.11.13 12:52
草梁倭館の規模はかなり大きかった。現在の10万坪に相当する敷地に約500人の日本人が居住したと記録に伝わっている。日用品を販売する商店から酒場、寺まで持っていた。田代教授は、「外国人のための施設としては当時東アジア地域で最大規模だっただろう」と評価する。現在釜山の竜頭山(ヨンドゥサン)公園にある釜山タワーから海岸までの一帯が草梁倭館の場所だ。しかし当時は竜頭山を越えなくては朝鮮人の村がないほどひっそりとしていたところだった。朝鮮人との接触を防ぎ倭乱のような暴動を未然に防止するための措置だった。
田代教授によると草梁倭館では韓日の食文化交流が盛んだった。朝鮮人はオベリヤスのような日本の菓子を絶品と称えた。朝鮮人の接待にはもれなく登場した。朝鮮人は菓子を食べず記念品として持っていき周辺に広まっていった。田代教授は、「18世紀ごろの日本では質の良い白砂糖が商用化されており、したがって菓子の色と味が豪華になり貿易品としてしばしば使われた。そこで朝鮮の倭館に日本の菓子が入ってくることになった」と説明した。