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平昌、「夏季五輪推進の釜山に押されるところだった」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.07.15 08:51
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2018年冬季オリンピックの江原道平昌(カンウォンド・ピョンチャン)招致のドラマの裏にはひそかに自らの役目を果たした“隠れた助演”がいた。政府が平昌招致の支援を決めた2009年から今年3月まで、青瓦台(チョンワデ、大統領府)でこれを担当した咸永準(ハム・ヨンジュン)前文化体育秘書官もその中の1人だ。平昌五輪招致委員会副委員長でもある咸前秘書官が中央日報記者に五輪招致成功の裏話を打ち明けた。

◆「釜山(プサン)の夏」に押されるところだった「平昌の冬」=平昌のライバルはドイツ・ミュンヘン、フランス・アヌシーよりもまず釜山だった。2020年夏季五輪招致を推進していた釜山と政府支援をめぐり競争となったためだ。釜山出身の国会議員は、「五輪は冬よりも夏」という論理を展開した。このため平昌支援を決めようとしていた青瓦台の会議が1週間延期することもあった。

 
この時大韓オリンピック委員会(KOC)の朴容晟(パク・ヨンソン)会長がSOSを咸前秘書官に送った。「江原道(カンウォンド)は10年にわたり力を入れてきた。政府が釜山を選ぶなら江原道は立ち上がる」という話だった。咸前秘書官は当時の鄭正佶(チョン・ジョンギル)青瓦台室長の下に駆けつけ、「これ以上先送りせず平昌支援を決めなければならない」と建議した。

◆「招致委員長を務めてほしい」=KOCは当初、他の大企業会長に委員長を引き受けるよう打診したが、「会社の業務で大変だ」という回答を受けた。困っていたKOCの前に韓進(ハンジン)グループの趙亮鎬(チョ・ヤンホ)会長が、「私がやろう」と“救援投手”として立候補した。活動当初、趙会長と関連しては、「静かな性格の趙会長が国際スポーツ界を掌握できるのか」という世論もあった。だが、財界事情に明るい李明博(イ・ミョンバク)大統領は趙会長就任の知らせを聞き、「よくぞ選んだ」と喜んだという。実際に趙会長は委員会を務めた22カ月間、情熱的に冬季五輪招致に奔走した。趙会長が招致委員長として訪れた海外出張の移動距離だけで地球13周に及んだ。


平昌、「夏季五輪推進の釜山に押されるところだった」(2)

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