韓国国防省長官、執務室に北朝鮮首脳部の写真を掛けている訳は
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.06.27 14:33
ソウル竜山三角地(ヨンサン・サムカクチ)にある国防省庁舎2階の金寛鎮(キム・グァンジン)国防部長官の執務室。韓国の国旗である太極旗と軍の統帥権者である李明博(イ・ミョンバク)大統領の写真のほかに掛かっている写真がある。北朝鮮の金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長と金格植(キム・ギョクシク)4軍団長の写真だ。A4用紙程度で、それほど大きくない。位置は金長官が常に座る椅子の後ろの壁にかかっている。北朝鮮軍首脳部の写真が、なぜ金長官の部屋に掛かっているのだろうか。国防省関係筋は「長官が大韓民国を脅かす敵情を見ながら、『今、この瞬間に何を考えているのか』と自分に問うためにこのような写真を掛けていると理解している」と説明した。別の関係筋は「敵が長官の背中をにらみつけているだけに、ひと時も敵を忘れてはいけないという心得だと思われる」と解釈した。
北朝鮮の延坪島(ヨンピョンド)砲撃挑発直後の昨年12月に就任した金長官のカウンターパートは、北朝鮮の国防長官にあたる金永春部長だ。2000年代中盤に後継者である金正恩(キム・ジョンウン)の生母の高英姫(コ・ヨンヒ、2004年死亡)の軍内偶像化を先導した人物だ。2009年2月に人民武力部長に昇進した。しかし金寛鎮長官は、彼以上に金格植に対しては神経を尖らせているという。休戦線を間にはさんで、野戦から交えてきた相手であるためだ。2005年、金寛鎮が合同参謀作戦本部長を終えて、ソウルと首都圏の防御を主任務とする3軍司令官を務めていた時、金格植は反対側で2軍団を指揮していた。2軍団はソウル・京幾(キョンギ)北部を攻撃対象としている。軍関係筋は「当時、2人の間には目に見えない神経戦がかなりあったと聞いている」と話す。金長官が2006年11月~2008年3月に合同参謀議長だった時、金格植は金永春に続き、軍の総参謀長(2007年4月~2009年2月)を務めていた。金格植は、続いて黄海道(ファンへド)と西海(ソヘ、黄海)北方境界線(NLL)を管轄とする4軍団長として下ってきた。“降等(階級が下がること)”というよりは、全権をもってNLLを武力化せよという任務を負ってきたと韓国軍は分析している。2009年11月大青(デチョン)海戦や昨年11月の延坪島砲撃挑発は、金格植が主導したと把握されている。そして昨年3月の哨戒艦爆沈は、彼が金英徹(キム・ヨンチョル)偵察総局長とともに企てた挑発であると韓国軍は分析している。