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「耳が不自由でも語学はできる」日本を感動させた韓国女性(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.06.14 11:54
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――母親は娘の聴覚障害を認めなかったというが。

「母は私が人と違うことを認めなかった。病院で聴覚障害者登録を薦められたがそれも拒否した。母の期待に合わせるのは不可能なことで大きなストレスだった。ヘレン・ケラーは“目が見えなければ事物で遠ざかるが、耳が聞こえなければ人が遠ざかる”と言った。情報が制限され人と遠ざかり、気がつけば周囲には誰もいなかった」

――そのような現実から脱出することになった契機は。

「母から独立しなければこんな生活が一生続くと思った。突然考えたのが英語を学ぼうということだった。母を説得して2年間英国に語学研修に行った。英語を習う過程は想像を超える苦労だった。単語をひとつずつ発音記号を見て発音を研究した。最後には私の発音を第三者が確認する過程を経て単語をひとつずつ習った」

2年の語学研修を終えて日本に戻ったキムさんは、短大を卒業して王子製紙で4年間働いた。しかしボーイフレンドと別れた後にうつ病となり、会社を辞めて10カ月引きこもった。再起を誓ったキムさんは4年間に貯めた金で3年余りの世界旅行に出発した。

――どうやって世界的な金融会社に入ることができたか。

「就職博覧会に行ってみたら閑散としているブースがあった。外国人男性と日本人女性が相談窓口に座っていたが、ゴールドマンサックスの人事担当者だった。▽耳が聞こえないが人と対話できる能力▽4カ国語駆使▽3年間の世界旅行談をした。数日後に思いもよらず合格の連絡がきた。最初は事務補助をし、入社3年目に株式・債券マネジメント業務が与えられた。2年前にいまの会社に移った」

――会社生活では困難も多いだろう。

「私の机には電話がない。役に立たないから片づけてくれといった。会議にはついていけない。そんな時は同僚が私のそばでメモをして助けてくれる。社会生活をしながら感じたのは、障害者はいくらがんばっても必ず他人の助けを受けなければならないということだ。こういう現実に挫折もするが、結局は障害を認めてこそ自身も社会も楽になる。私もできる範囲で彼らに報いたい」

――人生の目標は。

「新しい目標に絶えず挑戦すること、笑いが絶えない幸せな家庭を作ることだ」

キムさんはインターネットを通じ出版社社員の夫と会い結婚した。2歳になる娘がいる。


「耳が不自由でも語学はできる」日本を感動させた韓国女性(1)


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