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【時視各角】国家競争力ランキングは‘無意味’だ(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.05.24 10:19
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もともと国家競争力は経済学用語ではない。もっともらしくて大衆的な関心を引くが、学問的な根拠がある概念ではない。この言葉を習慣的に使ってみると、国を企業のようにお互い競争する関係と誤解しやすい。これに対する批判は1990年代から出ていた。ノーベル経済学賞を受賞した米国のポール・クルーグマンが代表的な人物だ。クルーグマンは94年、「競争力-危険な執着」という論文で、国家競争力という概念を「無意味で危険な錯覚」と批判した。国と国は貿易でお互い利益を得るが、これを競争力という基準で、それも一列に並べるのは間違っているという主張だ。クルーグマンによると、国家競争力順位は一言で‘無意味’だ。

一理ある言葉だ。例えば韓国の国家競争力順位が中国より低いからといって、中国に押されて落伍するのではない。むしろその反対だ。中国経済の発展は韓国にとっても有利に働く。中国に対する輸出が増え、中国人が韓国で使うお金も増える。中国がうまくいけば韓国もそれに伴ってうまくいく構造だ。また優劣を表わすランキングは現実を正しく反映できない。韓国は日本より競争力の順位が4つ高い。しかし韓国は巨額の対日貿易赤字から抜け出せずにいる。逆に韓国より競争力順位が高い米国と中国に対しては黒字を出している。これを国家競争力で説明するのは難しい。

 
それでも国家競争力の順位は毎年発表される。その度にメディアはオリンピックのメダル順位を扱うように報道する。結果は政治的に利用されたりもする。順位が落ちれば政府を批判する根拠に、上がれば政府の政治功績を美化する資料に使われる。すべて反省するべきことだ。

誰もが住みたがる国には人とお金が集まるものだ。自由と開放による吸引力・魅力が、IMDやWEFが測定しようとする国家競争力に近くはないだろうか。ただ、これを客観化するのは難しい。このため限界が明らかな競争力報告書を受けて見ているのかもしれない。それなら深刻に考えるのはやめよう。ランキングにこだわると、クルーグマンの警告のように誤った政策処方を出すリスクだけが高まる。

ナム・ユンホ経済選任記者


【時視各角】国家競争力ランキングは‘無意味’だ(1)

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