주요 기사 바로가기

5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー(3)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.05.17 11:01
0
5月の南山(ナムサン)はさわやかだった。13日午前11時、グランドハイヤットのホテルの向かい側、南山(ナムサン)公園を回りながら、金鍾泌(キム・ジョンピル)元総理が散歩をしている。南山一帯を彩る花の間を歩く金元総理には孫嫁が同行した。孫嫁は金元総理が「ナポレオン・ボナパルト」と呼ぶ息子を抱いていた。

記者は「5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー」(中央日報日本語版5月16日付)という記事が掲載された後、読者が知りたがっている点を聞くために金元総理が運動をする場所を訪ねた。

 
5・16当時、金元総理が革命公約と主旨文を印刷した後、真っ先に向かったのが南山にあるKBS(韓国放送公社)放送局(当時は中央放送局)だった。革命は宣伝を通して完成されることを金元総理はよく知っていた。

--革命は武力を掌握することで終わるのではないようだ。

「革命のようなことをして真っ先に確保しなければいけないのは放送局だ。放送するだけでなく、送信局も掌握しなければならず、そうしてこそなぜ革命をしたかを知らせることができる。送信局の掌握チームも別にあった。大衆の共感を確保することが成敗を左右する」

--周到綿密だ。

「航空機でも革命公約をまいた。イ・ウォンヨプ将軍は第5期生だが、当時は大佐で、L-19を操縦しながら革命公約、主旨文をソウル・大邱(テグ)・釜山(プサン)上空からばらまいた」

--KBSに進入したところ、どうだったか。

「その日未明、朴正煕(パク・ジョンヒ)少将と一緒に行ったが、軍服を着た人たちが入ってくるので、みんな北朝鮮の共産軍が攻め込んできたと思ったようだ」

--パク・ジョンセ・アナウンサーが革命公約を読んだ。直接発表しなかった理由は。

「最初は朴正煕少将が読めばどうだろうかとも考えたが…朴少将は声が少し硬い。それでアナウンサーが読む方が聞く人を安心させられると考えた。声を聞いだけで誰でも分かるほどパク・ジョンセは有名だった。国民が聞いて安心することが重要だと考えた。もともと前日の夜からどこにも行かないようにしようとしたが、ちょうど当番で放送局にいた。パク・ジョンセ・アナウンサーは最近、何をしているか気になる。最初は慎重な姿だったが、読んでからは次第に興奮するような感じだった」

--放送局が目標になっていたのか。

「目標ではなく、それが開始だ。国民に広く知らせるのが始まりだ」


5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー(1)

5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー(2)

5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー(4)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    포토뷰어

    5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー(3)

    2011.05.17 11:01
    뉴스 메뉴 보기
    13日午前、ソウル南山(ナムサン)公園を訪れた金鍾泌元総理が曾孫を見ている。
    TOP