【コラム】“今日”には誇り、歴史は否定
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.04.26 16:47
外国に暮らすと愛国者になるという言葉、改めて実感する。 米国のどこへ行ってもテレビさえつければ韓国の自動車・電子製品の広告が出てくる。 韓食を食べて「ワンダフル」という現地人を見るのはいまや何も珍しくない。 申京淑(シン・ギョンスク)という韓国人作家の翻訳書がニューヨークタイムズで特筆大書されたのも、大韓民国を見る目が変わったことを感じさせる。 日帝の収奪と韓国戦争(1950-53)の廃虚の中からつかんだ奇跡であるだけに、「コリア」に対する視線はよりいっそう驚異的だ。 愛国心に目覚めた若者世代が登場するのも理解できる。
しかし栄光の大韓民国にはなぜか今日だけあり、歴史はないようだ。 先日、李承晩(イ・スンマン)と4・19革命の和解の試みが消えたのを見てもそうだ。 李承晩という名前の前には相変わらず、終身執権野望に目がくらんだ独裁者という札がついている。 しかし大韓民国の建国大統領が李承晩という事実は否定できない。 韓国戦争をし、米国と談判し、韓米同盟を引き出したのも李承晩だ。 そのおかげで大韓民国は1960-70年代、経済開発に全力投球できた。