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【中央時評】この時代の「是日也放声大哭」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.04.25 17:35
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『テレーズ・デスケルウ』を書いたフランソワ・モーリアックと『異邦人』を書いたアルベール・カミュはともに第2次世界大戦直後の1950年代にノーベル文学賞を受賞した。 戦争末期の4年間、ナチスドイツの支配を受けたフランス人にとって、レジスタンス出身のこの両作家はド・ゴールの鼻よりも高い文化的自負心を抱かせた。 しかし戦後の清算作業では2人の考えは大きく違った。

真実と正義に充実であろうというカミュはナチス協力者の処罰を強力に主張した半面、モーリアックは寛容を訴えた。 脆弱な人間が限界状況の中で見せる非道徳な過誤は人間性の「不可避な」不条理であるため、ある程度までは寛容でなければならないというのがモーリアックの温かい人間愛であり深い実存理解だったが、聞こえてきたのは「聖フランチェスコの説教のようなたわごと」という揶揄ばかりだった。 

 
世論の力を背に一瀉千里で進行された清算作業の結果は、死刑およそ1万人、懲役・公民権剥奪など10余万人と発表されたが、人民裁判と即決処分まで合わせると数万人が処刑されたという。 その過程で陰湿な攻撃や偽証が相次いで犠牲者が続出すると、過酷で不公正な処罰に対する非難の声が高まった。 生計のためにドイツ軍と性関係を持った売春女性は落髪にあい、真昼に市内のあちこちを歩かされるという屈辱を受けた。 芸術の香りが漂う文化の都市パリでだ。

不条理と抵抗の作家カミュはナチス協力者から「不義の不条理」を見たが、不義と膺懲の間に置かれたもう一つの不条理、感性的ポピュリズムに振り回される「集団意識の不条理」は見ることができなかった。 それを見抜いたのはモーリアックだった。 公正でなければならない清算作業が「人間性の内面に対する省察」を欠いたまま集団的カタルシスの狂気に流れると、初めて反省の動きが起こり始めたが、その先頭には意外にも清算論の首唱者であるカミュがいた。


【中央時評】この時代の「是日也放声大哭」(2)

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