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【噴水台】国会暴力

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.04.18 17:28
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米国の建国の父トーマス・ジェファーソンが書いた『議会指針書』にはこうある。 「揶揄、せき、唾棄、騒動、口出し、立ち歩きなど同僚議員の演説を妨害してはならない」。小学校の教室に貼られているような内容だ。 それほど過去の米国政治家のレベルは低かったということだ。

民主主義の典範といわれる米議会でも暴力が乱舞したことが少なからずある。 1798年には下院議員のロジャー・グリスワルドとマシュー・リヨンが杖と火かき棒を振り回しながら争った。 リヨンが自分の経歴に難癖をつけるグリスワルドに唾を吐いたからだ。 約50年後の1856年はもっと激しかった。 南部出身のプレストン・ブルックス下院議員が上院に乱入、チャールズ・サムナー上院議員に杖で殴りかかり、血まみれにさせた。 サムナーが体が悪い親せきのアンドリュー・バトラー上院議員を侮辱したという理由だった。 その後、議事堂には護身用の杖や拳銃を所持した議員が増えた。

20世紀にも議会の暴力は相変わらずだった。 1902年には同じ民主党上院議員のベンジャミン・ティマンがジョン・マクローリンに飛びかかって拳を振るった。 フィリピン支配が不当だというティマンに向かってマクローリンが悪口を浴びせたのだ。 議事堂は乱闘場となり、止めに入った議員らもけがをした。

議会の暴力がひどかったのは英国も同じだ。 英国議会の床には剣2本分の幅の赤い平行線が引かれている。 この「ソードライン」(Sword Line)を挟んで向かい合って座る与野党議員は、このラインを絶対に越えてはならない。 過去に剣を身につけていた議員の間の争いを防ぐためだった。 悪口を言う議員も多く、こうした議員は時計塔ビッグベンの中の小さな部屋に入れた。 議会侮辱罪で非常に大きな鐘の音に耐えなければならなかった。

そのような英米議会からいつの間にか暴力は消え、民主主義の原則を尊重する風土が根付いた。 これには暴力政治家は選出しない有権者の成熟した姿による部分が大きい。 同時に議会自体の努力もあった。 米上院規範の前半20条項の半分が議員の言行と品位に関する規定だ。 これは次第に厳しくなり、1902年のティマン-マクローリン間の暴力事件の後、「いかなる議員も不適切な行為と動機を他の議員のせいにしてはならない」という条項が新設された。

韓・EU間FTA(自由貿易協定)処理過程で国会内のもみ合いが関心を集めている。 強行処理と国会暴力が繰り返される度に批判があふれるが、いつもうやむやにされてきた。 度が過ぎると思われるほど徹底的かつ詳細な規定の準備と厳格な執行が解決策であるはずだ。

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