【コラム】マニュアル社会の罠(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.03.23 14:00
まだ桜の花も咲いていないが、今年の10大ニュースの半分はすでに出てきたようだ。中東事態に日本大地震、リビア戦争まで、「ビッグニュース」が津波のようにあふれている。各報道機関の国際部記者が溺死する状況だ。口蹄疫事態、上海総領事館スキャンダル…。過去にこれほどのことがあっただろうか。韓国メディアの付和雷同のせいにする人もいるが、波のように押し寄せてくる大きなニュースがあまりにも多いのは事実だ。
ニュースの洪水の中で記事を選別するのは容易でない。予期しなかった新しいニュースが入ってくる度に、その意味と脈絡を考慮して軽重を分けるのは大変な作業だ。このため、ある人はマニュアルが重要だと言う。各種の場合の数を想定し、あらかじめ作っておいたマニュアルの助けを借りれば、作業を容易にし、失敗を減らせるということだ。半分は正しく、半分は間違った言葉だ。
ニュースの価値は相対的だ。いくら大きなニュースがあっても、それよりもっと大きなニュースが入ってくれば押し出されるしかない。ニュースの価値を判断する一次的な責任は担当記者とデスクの役割であり、最終的には編集局長や報道局長ら制作責任者の役割だ。ニュースの価値判断にはこの人たちの知識と経験、価値観、世界観が溶け込んでいる。ニュースは多く、判断は人によって違う。新聞紙面やテレビ画面に反映された最終結果でいえば、数え切れないほど多くの場合の数が可能だ。これをマニュアル化するというのは不可能に近い。結局、重要なのはリーダーの見識と直観だ。