<東日本大地震>「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.03.14 10:40
#韓国で災害報道をする時に犠牲者を取材するのは普通だ。遺体が安置された葬儀室と病院の姿が時々刻々と現れる。しかし日本の大地震報道で日本メディアは違った。津波で家屋と車両が押し流される場面がテレビにしばしば映るが、どのチャンネルでも津波に巻きこまれる人の姿は見られない。“死んだ人もこの世に残る”という日本人特有の死生観のためだが、泣き叫んだりしくしく泣く姿もなかなか画面で見るのは難しい。テレビ朝日のある関係者は、「災害予防のための目的の他には一般市民に大きな衝撃を与える場面は最大限控えるというのが災害報道の暗黙的ルール」と話した。11日に地震が発生した後、津波警報が解除された13日明け方まで、すべてのテレビ番組の司会者はヘルメットをかぶっていた。このように地震の規模や被害の規模とは異なり、日本は恐ろしいほどに冷静で落ち着いていた。理由があった。
例えば東京副都心の新宿に位置した四谷交差点にある消防署。12階建ての建物の10階の外壁には目立つ線が引かれている。この線は地上から高さ30メートルを知らせる表示だ。そのそばには、「この高さは1993年の北海道南西部地震で奥尻島を襲った津波の高さ」という説明がついている。津波というものはいつでも自分に起こりうる問題だということを認識させ、普段の準備が必須ということを知らせるためだ。
日本人は粘り強く一貫した災害対処教育を幼稚園の時から受ける。机の横のフックにはいつも災害に備えて頭にかぶる防災ずきんがかけられている。地震が発生すれば「防災ずきん着用→机の下に待避→運動場に待避→秩序確保」まで目を閉じてもできるほどだ。徹底した災害予防教育は小学校入学後に初めての授業で習う「迷惑をかけるな」という日本固有の精神価値とともに、大型災害に落ち着いて対応するようにする秘訣だ。ここには自身に訪れた境遇を宿命として受け入れる日本人の特性も作用する。