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「核戦争、核惨禍、核聖戦」…金正日が“核ゲーム”開始(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.12.27 15:20
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金正日の核ゲームは延坪島攻撃の半月前から予告されていた。 2004年1月から6度も訪朝した核科学者ジグフリード・ヘッカー米スタンフォード大国際安保協力センター所長を通してだ。 北朝鮮はヘッカー博士の訪朝期間(11月9-13日)にその間開発を否定してきたウラン濃縮施設現場を公開した。 ヘッカー博士が「驚いた(stunned)」というほどウラン濃縮施設の統制室は完璧だった。 ウランを濃縮する遠心分離機2000基が連結されていた。 六フッ化ウランを入れて1年稼働すれば、核兵器1個分量の高濃縮ウランを得られると推算される。

米国はこの施設の技術水準がイランより進んでいるという分析を出した(ニューヨークタイムズ)。 北朝鮮はヘッカー博士とともにロバート・カーリン・スタンフォード大客員研究員も同時に招待した。 カーリン博士は「2000年に締結した朝米コミュニケが解決方法」という北朝鮮高官の話を外部世界に伝えた。 趙明禄(チョ・ミョンロク)国防委第1副委員長がワシントンを訪問し、オルブライト国務長官に会って締結した朝米コミュニケの核心は「朝米敵対関係の終息」だ。

 
北朝鮮は16-21日、民主党の対北朝鮮パイプであるリチャードソン・ニューメキシコ州知事を平壌(ピョンヤン)に呼んだ。 リチャードソン知事を通して「国際原子力機関(IAEA)視察団復帰の受け入れ」「核燃料棒国外搬出交渉の用意」などの融和的な案を出した。 要するに軍部を通しては従来の核兵器使用で脅威を与え、ヘッカー博士には新しい核能力を誇示し、リチャードソン知事を通しては対米核交渉の可能性を流したのだ。 核カードを前面に出すという信号とみられる。

2010年の北朝鮮の核ゲームは外形上1994年初めと似ている。 当時、北朝鮮は5MWe原子炉の核燃料棒封印除去をめぐるIAEA査察問題で米国と対立した。 南北特使交換のための実務会談の朴英洙(パク・ヨンス)北側代表は「ソウルはここから遠くない。 戦争が起きればソウルは火の海になるだろう」と述べ、韓半島危機はピークに達した。 金日成(キム・イルソン)主席はジミー・カーター元大統領を招待し、朝米高官級会談と南北首脳会談カードを通して主導権を握っていった。 CNNのアンカーまでが同行したリチャードソン知事の訪朝は当時の雰囲気を連想させる。 もちろん当時は北朝鮮が本格的な核兵器開発の門の入口を越えられなかった時だ。 しかし今は2度の核実験を実施し、核兵器の小型化と核搭載ミサイルの開発も行った可能性が高い。

キム・テウ韓国国防研究院責任研究員は「北朝鮮は韓国に対して通常兵器で挑発し、核恐怖まで助長しながら、韓国社会に極度に委縮させるゲームをしている」と述べた。 ある専門家は「核には核で対応すべきであり、韓国内から撤収した戦術核武器を持ってくるべきだという声が高まるだろう」とし「韓米国防当局の核拡大抑止委員会で、具体的な核の傘対策が用意されなければならない」と強調した。


「核戦争、核惨禍、核聖戦」…金正日が“核ゲーム”開始(1)

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