【噴水台】コラテラル・ダメージ
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.11.28 12:02
時速100キロメートルで疾走する機関車を走らせているときに突然ブレーキが故障したと考えてみよう。線路には作業員5人が、右側の線路には1人がいる。選択はハンドルを切るか、そのまま行くかの2つに1つだ。大部分の人々は5人を殺すことより1人を殺すほうがより良いという判断を下すことになる。ところで1人の命は5人の命より相対的に尊くないのか。5人を生かすために1人を殺す決定を道徳的といえるだろうか。ハーバード大のマイケル・サンデル教授のベストセラー『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』に出てくる「トロッコ問題(trolley problem)」だ。
トロッコ問題は、「大のためならば小を犠牲にしても良い」という論理を思い出させる。実際に人々にはそれらしい大義名分があるならば、その過程で派生する否定的現象はある程度甘受すべきだと考える心理があるという。この主張は数字が大きくなればさらにもっともらしくなる。米国の軍事用語の「コラテラル・ダメージ(collateral damage)」が良い例だ。大規模軍事攻撃にともなう民間人被害を意味する言葉だ。意図しなかった犠牲、付随的被害などと翻訳される。