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【噴水台】罰点と体罰

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.11.14 11:58
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自習しなければ1点、授業時間に騒げば2点、身だしなみが乱れていても2点、先生の指示に反すれば3点、コンピュータゲームをして摘発されれば5点…。学生法廷を運営している民族史観高校の罰点項目だ。罰点が積もり1学期に15点を超えれば推薦書と奨学生の対象から除外される。40点を超えれば校内奉仕、60点は生活記録簿に記載され、80点ならば勧告退学だ。だから学校生活に「罰点管理」は必須項目という。幸い罰点を相殺できる「賞点」があるが、これを取るのは容易でないという。当然体罰はない。

国立中央博物館朝鮮室の展示品に「教鞭」がある。昔の書堂(寺子屋)で学童を治めた勲章のむちだ。教師になることを「教鞭を取る」という理由だ。漢字の解釈から見れば本来むちだったが、教えたり指し示すのに容易な木の枝に変わったようだ。むちの材質は教育用と懲罰用で異なる。教育用のむちは桑の木で作る。桑の木は後が残らず傷が早くいえるためだ。間違えた子どもに他の木ではなく「桑の木枝を折ってきなさい」というのにも理由があったのだ。これに対し懲罰用はトネリコだ。丈夫で弾力があるためだ。シンガポールでむち打ち刑を執行する時に使うむちがちょうどトネリコ製だ。1度打たれれば一生傷跡が残るという。

 
学校の体罰が禁止され罰点が導入され、あちこちから不満の声が上がっている。「教鞭を投げ捨てろということだ」と反発する教師、「いっそ1発殴られるほうがいい」という学生たちで騒がしい。これに対し「体罰は暴力であり、学校では法よりもげんこつが近いということを教えるようなものではなかったか」と歓迎する声も大きい。

問題は感情だ。むちに私的な感情が込められれば「私的制裁」だ。公共の感情が入れられればむち打ち刑だ。むちが法的懲罰手段として残っている国はごく少数だ。東南アジアのシンガポール、マレーシア、インドネシア、アフリカのタンザニア、ナイジェリア、ジンバブエ程度だ。アムネスティインターナショナルは、むち打ち刑を「残忍で非人間的であり人間の品位を落とす」と規定している。

ところで「愛のむち」は果たして可能だろうか。区別する方法がある。殴った人が殴られた人よりも痛ければ愛のむちだ。そうでなければ暴力なだけだ。むち打ち刑は尻に傷を残すが、体罰は心に傷を残す。タレントのキム・ヘジャさんのアフリカ紀行随筆集の題名を借りて表現するなら、それよりも痛い自分がないなら「花でも殴るな」。

朴鍾権(パク・ジョングォン)論説委員

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