日本、太平洋戦争時、釜山で細菌兵器実験
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.08.13 10:53
日本が太平洋戦争中だった1944年、釜山で細菌兵器実験をしていた事実が明らかになった。最近出版された「陸軍登戸研究所の真実」による。登戸研究所で研究員として細菌兵器開発に参加した伴繁雄氏が生前、同僚研究員たちが残した資料を整理した本だ。登戸研究所は旧日本陸軍第9技術研究所で、第2次世界大戦中、生物化学兵器開発と偽造紙幣製作を担当した極秘研究機関だった。
当時、日帝は牛に致命的な疾病である牛疫(rinderpest)を米国にまき散らすことにし、登戸研究所が毒を分離して凍結乾燥した粉末形態の細菌兵器を開発した。この細菌兵器の性能を確認するために釜山(プサン)と中国満洲などで実験をしたのだ。この本によれば44年5月、登戸研究所職員と爆発専門家などで構成された実験団が洛東江沿いのデルタに牛10頭を立たせ、細菌兵器実験をした。