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【時視各角】もう一度考える三伏の「犬肉論争」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.08.04 15:39
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 たくさん召し上がりましたか。 はい、私、ワンワンです。 あなたたちが気分良い時には犬公、そうでない時は‘犬XX’と呼ぶやつです。 すでに末伏が目の前に迫っています。 毎年この時期には「犬肉を(料理として)認めろ」「犬肉を禁止しろ」という論争で騒がしくなりますが、今年も例外ではないようです。 バス・地下鉄でこういう言葉を目にしたでしょう。 「もうやめよう、たくさん食べただろう」。ある動物保護団体が初伏から繰り広げている「友を食べない」キャンペーンです。 しかしいつもそうだったように「キャンペーン、補身湯(ポシンタン、犬肉スープ)店前の門前成市、政府の知らん振り」は今年の夏も相変わらずです。

おそらく歴代の政府が黙々無答、善悪を口にせずもじもじする最初の問題が私たちです。 食用犬と補身湯。 育てる、食肉にする、買う、売る、食べる人がみんなありますが、法だけがありません。 幽霊動物であり幽霊食ということです。 私も疲れました。 どうか何らかの結論でも出していただきたい。 もう無資格者、無法者として暮らしたくありません。 この際、一度いろいろと訴えてみようと思います。 気に入らなくても悪口はやめてください。 ただ過ぎゆく末伏のたわごとだと思って聞いてください。

 
補身湯。これは歴史が長くなりました。 伝統と歴史は相当なものです。 先史時代までさかのぼるという人もいますが、我慢します。 識者なら当然、考証と文献を根拠に話すべきですから。 中国では周の時代から食べたという記録があります。 『周礼』には帝王が食べる6種類の料理の一つに犬肉が登場します。 『礼記』も補身湯を宗廟で祭事をする時に使う貴重な料理だと書いています。 皇帝が食べた料理、まさにそれです。 項羽を退けた劉邦は犬肉のマニアでした。 野人時期から部下の将帥・樊カイの犬肉料理にはまったといいますが、皇帝になった後にも楽しんだといいます。

三伏に食べる風習にも由来があります。 司馬遷の『史記』は秦の徳公2年に初めて極暑に犬を使って祭事を行ったと伝えています。 犬肉は火に該当し、三伏は鉄に該当するので、火で鉄に勝つ(火克金)儀式ということです。 三伏の伏の字も意味深長です。 人と犬を合わせて作られました。 2つが一つになるには一方が相手を食べなければなりません。 かといって犬が人を食べることはできないでしょう。 それで人が犬を食べるようになったのではないでしょうか。 運命的というしかありません。

最近は三伏に犬肉の消費が減っているといいます。 その代わり蔘鶏湯(サムゲタン)は毎年6%以上も販売が増えているそうです。 喜ぶべきか、悲しむべきか、よく分かりません。 ところが、なぜか鶏肉と比較されるのは自尊心が傷つきます。 犬肉がもっと良い、悪いという話はしません。 『東医宝鑑』『洌陽歳時記』『東国歳時記』に出てくる各種効能、話しても口が痛むだけです。 その代わり最近の方法でします。 犬肉は何よりも環境親和的です。 有識な言葉ではエコフレンドリー。 なぜエコなのかと? 食用犬は巨大な生ゴミ処理工場です。 土佐交雑種と国産種、2種を合わせて約124万匹が食用犬として飼育されています。 土佐交雑種は一日平均2.5キロ、国産種は1キロを食べます。 エサはほぼ100%、人が残した残飯です。 1年に約126万トンの生ゴミを処理するという計算です。 犬博士と呼ばれる安竜根(アン・ヨングン)忠清(チュンチョン)大教授は「年間1289億ウォンを削減できる」と計算しました。 鶏・鴨などは飼料を食べます。 環境どころか、糞尿をして環境を壊します。 それだけではありません。 救荒のたんぱく質としても最高です。 牛・豚がよく感染する口蹄疫、鶏・鴨によくある鳥インフルエンザは、犬にはありません。

口が疲れるほど並べましたが、意味のない自慢です。 だからどうだというのでしょうか。 犬肉はすべてのものが無法です。 不法でもなく無法。 この世で冷遇より悪いのが無遇といいますが、今はもう何らかの待遇でも受けたいと思います。 犬肉を食べない世の中をつくるか、そうでなければ、食べる人がきちんと食べられるようにするか。 こうした難しいことをするために政府があるのではありません。 かといって犬が出ていくことはできません。 いろいろ訴えましたが期待はしていません。 何の結論もなく今年も三伏が過ぎていきます。 いつものように。

李正宰(イ・ジョンジェ)中央SUNDAY経済・産業エディター

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