주요 기사 바로가기

韓国での子育て5年、‘白旗’掲げた日本人女性

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.05.29 12:36
0
 京畿道(キョンギド)盆唐(ブンダン)に住む佐藤さん(39)は20日、息子と娘と一緒に日本へ帰った。 九州の実家で子どもを育てるという。 佐藤さんは5年間、韓国で暮らした。 しかし結局‘白旗’を掲げた。 日本・米国の教育システムと比較すると、韓国では理解できない部分が多かった。 「日本も競争が激しいが、韓国に比べると何でもない。 ここでは子どもも母親も不幸になりそうなので韓国を離れることにした」。

◇猛烈ママ

 
 小学校に入学すると、すぐに子どもをサッカー教室に入れた。 「ここではそうしないと友達と付き合えない」という話を聞いた。 「なぜ運動をお金を出してするのか」。理解できなかった。 わずか1時間のサッカー教室が終わった後、みんなでハンバーガーやピザなどおやつを食べるのも納得できなかった。

もっと理解できなかったのは、毎週土曜日に集まる母親たちだった。 「用事があるのなら母親たちが順番に一人ずつ出ればいいものを。 共働きの母親は時間を合せれないから母親たちの間で仲間はずれになる」。

佐藤さんもだんだん母親たちの集まりには参加しなくなった。 「子どもたちがサッカーをする間、母親らは塾の話、先生の話をする。 私は情報がないので、他の母親たちから好かれていなかった」。

子どもが3年生になると、結局、サッカー教室をやめてしまった。 「子どもたちの誕生日パーティーをビュッフェレストランでしよう」と母親たちが決めたからだった。 「ビュッフェレストランでで誕生日パーティーをすれば費用の負担も大きいのに…」。佐藤さんは「これ以上、他の母親たちに合わせることができなかった」と語った。

◇学級代表の母親

「お母さん、ぼく班長になった!」。3年生の2学期が始まったある日、息子がうれしそうな表情で帰ってきた。佐藤さんは「もう子どもも完全に韓国に適応できたようだ」と思った。佐藤さんも忙しくなった。1週間に2、3回は学校に呼ばれた。その度に幼い娘を保育所に預けた。

環境美化主幹、大掃除、あいさつ教育強調期間…。学校からはその都度、「お手伝いしてほしい」というメールが届いた。その度に母親たちを集めて行った。そしてその都度、集まった母親たちの食事代を支払うことになった。環境美化に使う材料も佐藤さんが買った。秋の遠足では先生の弁当を作らなければならず、夜も十分に眠れなかった。

学級副代表の母親は「もともと学級代表の母親はそういうもの。嫌ならば子どもを学級代表にさせてはいけない」と話した。「私が学級代表にさせたのではなく、子どもたちが選んだのでは?」。佐藤さんは結局、子どもに「これからは学級代表にならないで」と頼んだという。

◇孤独な子ども

子どもは一緒に遊ぶ友達がいなかった。同じクラスの友達は学校が終わるとすぐに塾へ行く。友達の家に行くと、友達は塾に行っていて、母親だけがいる。学校でも友達と親しく付き合えなかった。学校を行って学校の様子をチェックした。

「休み時間には先生が‘静かに座っておきなさい。トイレに行く人だけは行ってきなさい’と話していた。給食時間も、みんなの準備が終わるまで手を付けないように手を頭の上にのせて待たされていた」。佐藤さんは「一緒に遊ぶ時間もないのに、どうやって友達と一緒に交われるのか」と話した。

子どもがこのまま中学・高校に行くことを考えると怖かった。小学校の低学年から塾や家庭教師に熱心な母親たちを見てきた。このように個人的に行う教育競争に加わる自信がなかった。

韓国の母親は勉強以外のことは教えないようだ、とも語った。佐藤さんは「サッカー教室では紙コップをその場に捨てたり、ハンバーガーをくれと大声で叫んでいる子どもたちを見て驚いた」とし「本当に重要な教育が何か、ここにいると見失いそうになる」と話した。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP