【社説】父母の日、改めて考える私たちの時代の孝
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.05.09 07:51
シン・ギョンスク氏の小説『ママをお願い』には、母を亡くして初めて、母について知らないことが多かったことを知る子どもの話が出てくる。季節ごとにキムチや味噌を作って息子・娘に送っていた母は、実はよくない病気にかかっていたことも全く知らなかった。しかし生活が忙しいと言って親を忘れて過ごすのはこの小説の子どもたちだけではない。子どもの奉養を望むどころか、財産を取られないだけでも有難いのが最近の親の率直な心情だろう。
伝統的な家族内の扶養システムが崩れたのは最近のことではない。統計庁によると、08年現在、65歳以上の半分以上が生活費を自ら稼いでいる。10人に6人は子どもと一緒に暮らしていない。配偶者もなく独りで暮らす高齢者も100万人にのぼる。このうち4分の1は子どもから1カ月に一度も電話を受けていない。高齢者が亡くなった後かなり時間が経ってから見つかる「孤独死」がよくある理由だ。現実がこうであるにもかかわらず、私たちの社会の高齢者福祉は相変わらず子どもの奉養に相当部分を依存している。財産がなくて体の状態が良くないため働けない高齢者でも、収入がある子どもがいれば基礎生活保障の受給者にならないという制度がその代表例だ。このような非受給貧困層の高齢者の半分は子どもから全く生活費を受けていないという。したがって他の先進国のように、貧困層の高齢者は国が扶養するシステムを拡充する必要がある。個人的な孝が消えていく空間を、社会的な孝ででも埋める必要がある。