【社説】国家危機状況で迎えた4・19革命50周年
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.04.19 11:16
韓国は歴史の転換点が訪れる度に若者に借りを作り、若者の犠牲でヤマ場を乗り越えてきた。50年前の今日、若い大学生・高校生が独裁政権に抵抗し、憤然として立ち上がった。路上は学生らが流した血で染まった。しかし犠牲は無駄にならなかった。4・19革命は単に一つの独裁政権を倒すのにとどまらず、民主化に向かった国民的な念願を絶えず呼び起こした。今日の私たちが享受する民主主義は、186人の死者と約6000人の負傷者を出した4・19革命を起源とする。
しかし4・19革命は歴代権威主義政権で‘義挙’と呼ばれ、1980年の第5共和国憲法の前文では名称自体が抜けたりもした。長期間にわたり敬遠視された4・19が金泳三(キム・ヨンサム)政権時代に「革命」と規定され、水踰里(スユリ)犠牲者墓地が国立墓地に格上げされたのは歴史の当然な道理だ。今年に入り、4・19革命の前に起きた馬山(マサン)3・15義挙も国家記念日に指定された。改めて殉国烈士の霊前に頭を下げ、黙祷する。
今年4・19革命記念日は、海軍哨戒艦「天安(チョンアン)」沈没事件で46の軍人が殉国した国家的な悲劇の渦中に訪れた。非常な危機状況で迎える4・19記念日であり、その意味は格別だ。「天安」の将兵の多くは4・19当時の犠牲者と同じ若者だ。彼らは神聖な国防任務を遂行して惨事にあった。大韓民国はまたも若者の犠牲に借りを作った。私たちは4・19革命の民主主義理念を継承し発展させると同時に、民主主義を可能にする前提条件である国体の維持、すなわち国家安全保障の価値もこの機会に改めて認識すべきだと信じる。