【噴水台】原発
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.02.04 14:55
スターリンと毛沢東ほどはっきりと愛と憎しみが交差した仲も珍しい。最初は疑心だった。国共内戦時のスターリンの支援は温かった。長江横断も阻もうと考えた。統一大国の出現が嫌いだったのかもしれない。毛沢東はスターリンが真の社会主義同志か疑い始める。しかし勝利を控えた1949年6月、毛沢東は突然「一辺倒」外交政策を発表した。ソ連に「オールイン」するという宣言だ。米国はそれほど恐ろしい存在だった。
毛沢東は新中国成立直後の1949年12月、モスクワに駆け付けた。スターリンに対する愛の始まりだ。旅程中、劉少奇に送った電報で「スターリン大元帥に謁見するなんて情意があるんだな」と彼は感激した。このとき、スターリンは再び裏切った。駅への出迎えどころか、きちんと対話ひとつ応じなかった。そうして毛沢東を2カ月間放置する。毛沢東は後日「食べて、出して、寝てばかりだった」と回顧した。毛沢東に随行した周恩来首相も「(スターリンが)毛沢東主席を冷遇した」と証言した。スターリンは最後には周恩来をクレムリンに呼び、中ソ友好条約を締結した。スターリンに対する毛沢東の嫌悪は極に達する。