植民地時代の地名がまだあちこちに
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.02.03 15:09
統合市の新名称がなかなか決まらない中、全国には日本の強占期間につけられた日本式の地名が多く残されている。民族の精気回復のためにも日本式地名を変えなければならないという指摘があったが、特別に進展はなかった。
代表的な所が経済特区開発が盛んな仁川松都(インチョン・ソンド)。朝鮮総督府は1937年松の林や島と関係ない所を松島町と名付けた。本来の地名は仁川府オクリョン里だった。日本は松島町以外にも仁川の40カ所を日本の軍艦や海軍提督の名前からつけた。松都号は日清戦争と日露戦争に参戦した日本海軍の巡洋艦だ。
光復直後、オクリョン洞は昔の名前を取り戻した。しかし松都遊園地の名声などで松都は依然、市民たちに慣れた地名で残った。この沖合を埋めた所に松都国際都市開発が本格化した2005年、地域の市民団体は「日帝残滓」とし「松都」の地名の撤回を要求した。しかし仁川市と延寿区(ヨンスグ)は「すでに定着した名前であり、住民たちも望んでいる」と松都洞と定めた。仁川郷土史家のチョ・ウソンさん(62)は「光復直後、骨身を削って消した日本の残滓を仁川市が復活させた形だ」と批判した。