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【コラム】韓国戦争60周年と韓国社会(上)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.01.08 12:54
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赤壁大戦など「三国志」の戦闘には該博ながら、いざ韓国戦争(1950~53)のディテールには無神経な人が少なくない。

開戦初期の春川(チュンチョン)防衛戦投をとってもそうだ。当時、同地の韓国軍・第6師団は7日間で人民軍を阻止することに成功し、そのおかげで、西部戦線を突破し降りてきた北朝鮮軍・第3師団の兵力をソウルに縛っておくことができた。

春川をすぐに手放した場合を考えてみよう。漢江(ハンガン)南方の防御ラインづくりはそれだけ厳しくなり、その後の戦争の様相も変わったはずだ。人民軍がためらうと、米軍の介入に怯えたスターリンは金日成(キム・イルソン)に「進撃か、中断か」(7月1日の通知文)を問い詰めねばならなかった。

韓国戦争から今年で60年目となるが、この戦争は簡単ではなかった。正確には「東アジアの国際戦争」(本紙4日付)だ。各地の戦闘が展開する様相に世界のリーダーらが緊張した。双方を極度に焦らせたのが、同年8、9月の「多富洞(タブドン)戦闘」だ。戦略的な重要性では「兜率山戦闘(ドソルサン、51年6月)」、「白馬高地戦闘(ペンマ、52年10月)」をはるかに上回る。

倭館・大邱(ウェグァン・テグ)の関門に当たる多富洞を渡してしまった場合、当時、国土の8%(洛東江南方)のみ確保していた韓国政府は直ちに済州道(チェジュド)に押し出されただろう。この戦闘の英雄が、最近、中央日報に「残したい話」を連載中の白善燁(ペク・ソンヨプ)将軍だ。連載したばかりで、中共軍が介入する緒戦の雲山(ウンサン)戦闘が紹介されているが、白将軍は戦争で終始不屈の第1師団を率いた名将だ。

同氏は昨年、出版した戦争回顧録「軍と私」(再出版本)で「第1師団最大の戦闘は多富洞で始まり、多富洞で締めくくられた」(96ページ)と明らかにしたほどだが、それがどの程度だっただろうか。「人民軍の精鋭」とし、金日成が誇りとした第3師団をはじめとする敵の3の師団をおよそ1カ月にわたる戦闘で壊滅(かいめつ)ないし瓦解した。それが戦史の定説だ。

多富洞戦闘で時間を稼いだため、マッカーサー大将(当時)の仁川(インチョン)上陸作戦(50年9月15日に国連軍が仁川へ上陸し、ソウルを奪還した一連の作戦・戦闘のこと)も可能だった。第1師団は米軍に先立ち、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)に入城した先鋒隊としても有名だ。平壌への進撃こそ「どんな戦争映画もまねできない一大の壮観」(123ページ)と白将軍は後日、感激的に述懐した。

そこには曲折があった。第1師団は開戦の初期には敵のタンクに押され、1カ月以上をも南方へ後退を繰り返し、同氏の表現通り「流浪師団」の状況にあった。そうした点から、多富洞戦闘は最悪の条件を乗り越えて成し遂げた名戦闘であり、優に壬乱当時の鳴梁大捷(1597年9月の丁酉倭乱=慶長の役の当時、朝鮮の水軍が鳴梁で日本の水軍を撃退した海戦)にたとえることができる。

実際、白善燁は昨年のアンケート調査で、李舜臣(イ・スンシン 朝鮮の名将)、姜邯賛(カン・ガムチャン 高麗の名将)とともに歴史の中の戦争英雄に選ばれた。しかしなぜか同氏への礼遇は米国の方がより手厚い。ジョージア州フォート・ベニング(Fort Benning)の歩兵学校は昨年「生きている伝説(living legend)」こと同氏の肉声を収録し、聞かせてくれる展示館を設けた。

歴代の在韓米軍司令官も離任・就任のあいさつを「尊敬する戦争英雄、白善燁将軍様!」で始めるのが長い慣例だ。それなら韓国社会は自らの英雄になぜ無関心なのだろうか。韓国戦争にも無感覚で、「北朝鮮による侵攻」か、「韓国による侵攻」かすら混同してしまう。実に研究すべき対象と言える。

人々は韓国戦争は遠い昔話で、国家の安保など独裁時代のスローガンだと決め付ける。白善燁には無神経ながら米国の南北戦争のロバート・リー将軍は格好いいと考える。こうした認識の混乱はあり得ない。韓国社会全体が「平和のわな」、「文弱のわな」に陥った格好である。韓国戦争60年の吟味を意味あるものにするためには、こうした社会病理までも治癒すべきだ。

チョ・ウソク(文化評論家)
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