【中央時評】核より不安な北朝鮮の貨幣改革
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.12.18 14:46
3年喪に服した金正日(キム・ジョンイル)が朝鮮労働党総秘書に就任した1997年、北朝鮮経済は最悪の状況にあった。 ‘苦難の行軍’と名付けられたその時期、工場は止まり、配給も途絶えた。 住民は職場を離れ、食糧を求めてさまよい、山には松の木の皮さえ残っていなかった。 数十、数百万人が餓死したという。 中国の図們から見える恵山には芝もない墓がただ並んでいた。 地上の楽園といっていたが、阿鼻地獄だった。
主体思想の「自分の運命の主人は自分自身」という言葉が浮かんだ。 本当に信じられるのは自分だけだった。 国営商店は閑散としていたため自然な流れで市場が生まれた。 物価はどんどん上がり、商売をしなければ生きていけなくなった。 計画経済が根本から崩れていたのだ。 しかし経済を立て直すために開放・改革へ進むことはできなかった。 社会主義計画経済は絶対に放棄できなかった。 それは体制維持の基盤であり、金正日自身の権力の土台だったからだ。 このため、計画経済の正常化に政策方向が決定されたのは当然のことだった。