【コラム】与えるのが受けることより難しい開発援助
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.12.07 15:00
大韓民国の地位が世界舞台で日々高まっているというニュースにより、国民の自負心もさらに強まっている。88年ソウルオリンピックと02年ワールドカップが韓国の産業化と民主化を象徴する祝典だったなら、来年11月にソウルで開催される主要20カ国・地域(G20)首脳会議は、韓国が世界の政治と経済の中心舞台に登場することを知らせるものだ。10日前にパリで開催された経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)では、韓国が世界24番目の加盟国になることで、光復(解放)後ずっと国際社会の支援を受けてきた国から供与国に立場が変わることになった。韓国が本当の意味で先進国クラブ入りすることになったというOECD事務総長の言葉を聞きながらも、「本当に私たちが先進国になったのか」という不安感が消えないのが、私たち国民の率直な心情といえる。それは韓国の先進化行進の弾力と妥当性を信じられないからではなく、こうした時であるほど過度な成就感やお祭りムードを自制できる自重と慎重さが求められるからだ。
特に経済発展過程で韓国の数歩遅れで追ってくる開発途上国に対する援助は、下手をすると猜忌と糾弾の対象になってしまうことを肝に銘じなければならない。支援を与えたり受けたりすることが決して容易なことではないというのは、人間関係だけでなく、国家関係でも留意しなければならないことだ。ともに貧困の困難を経験していた立場から、ある日誰かの暮らし向きが良くなり、金持ちになったからといって「今後は助けてやる」というように振る舞えば、過去の友人は当然、感謝の視線よりも糾弾の声を高めようとするだろう。しかも韓国の場合、DAC加盟国のうち公式開発援助の規模がまだ最も少ないということも忘れてはならない。したがって、開発援助国に入ることに伴い、今後は国際協力と支援に対する韓国の基本哲学と姿勢、目標、戦略、組織などすべてのものを慎重に整えていかなければならない。