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【噴水台】 鳳仙花

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.12.02 11:10
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20歳の青年、洪蘭坡(ホン・ナンパ)が釜関連絡船に乗って玄海灘を渡ったのは1918年のことだ。彼は、広いソウルにも2、3台しかなかったといわれるバイオリンを大事に持っていた。蘭坡は日本最高権威の官立東京音楽学校(現東京芸術大学)に入って1年課程の予科を終えた。しかし彼は翌年、本科進学をあきらめてソウルに帰ってきた。セブランス医専を中退し、決然とした覚悟を抱いて発った留学を、どうして途中であきらめたのだろうか。

後日、蘭坡は「せっかく入った東京音楽学校で、万歳通で突出さえしていなかったら、官立学校という看板下で大道を闊歩した」と回顧したことがある。「万歳通で」という表現が1919年3・1 運動と関連があると見当がつきそうだが、蘭坡に親日派というレッテルを貼ろうとする人は、根拠が明らかではないため排斥する。しかしバイオリニスト篠崎弘嗣の回顧には耳を傾ける必要がある。彼は学生時代、蘭坡とともに下宿をした仲だ。

「ある日蘭坡は、大事にしていたバイオリンを質屋に出した。そのお金を他の朝鮮人留学生に預け、独立運動チラシを作るのに加えた。この事実が知れてしまったせいで、彼は本科に入れなかった」篠崎は今、この世の人ではないが、彼と交情が深かった在日韓国人バイオリンの名匠、陳昌鉉(チン・チャンヒョン)さんは何回も話を聞いたと記者に語った。

43年の短い一生のうち、少なくとも39歳までは、洪蘭坡は敢えて立場を分けようとするなら反日の方に立った。修養同友会事件で72日間、獄苦を味わい拷問を受けたこともあった。しかしその後、思想転向書を書いた事実と、李光洙(イ・グァンス)、崔南善(チェ・ナムソン)らが書いた親日詩3編に曲を付けたことが、長い間、問題を提供する彼の親日の行いだ。自然人洪蘭坡に、どうして超人的な意志で拷問に耐え、最後までねばらなかったかと、それでなぜ「洪蘭坡烈士」となることができなかったかと非難するのはとても残忍なことではないか。

韓日強制併合100周年が近付き、再び親日についての是非が飛び交う。蘭坡の子孫たちと親日真相究明委員会の間には法廷紛争までしているようだ。明らかにすることは確かに明らかにするべきなのだが、蘭坡を評価するときは、彼の親日と反日の行い、そして誰も否定できない芸術家としての業績を一緒に秤にかけなくてはいけない。天上の蘭坡は子孫たちがする騒動を見下ろして、自分の生をどう反芻しているのか。今日に限って鳳仙花のバイオリンのメロディーが哀しげに聞こえる。

イェ・ヨンジュン政治部次長
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