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ソウル新庁舎の敷地が朝鮮時代の武器工場?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.12.01 13:17
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朝鮮(チョソン 1392~1919)時代の火砲「仏郎機子砲」がソウル市中心部で発掘された。

 
仏郎機砲は朝鮮時代に西洋から伝えられた新型大砲だ。従来の通常火砲は砲に直接火薬を詰め込み、泥を入れて平たくした後、弾丸を装填(そうてん)して発砲するため、速度が落ちた。しかし、仏郎機砲は一つの「母砲」に数個の「子砲」が付いていて、あらかじめ装填した子砲を入れ替えながら連続的に発砲できる。

埋蔵文化財発掘調査機関の漢江(ハンガン)文化財研究院(院長:シン・スクジョン)は11月30日、発掘調査を今年6月から行ったところ、ソウル中区太平路(チュング)1街にあるソウル市新庁舎の敷地から▽仏郎機子砲1点▽「勝字銃筒」多数▽「将軍箭」の大型矢▽鉄丸(丸い鉄のかたまり)▽鉄でできた矢--など多量の鉄製火薬武器が出土されたと発表した。

今回出土した仏郎機子砲(全長43.5センチ、幅9.6センチ、厚さ1.2センチ)は宝物第861号と制作の年代や形が同一だ。砲身には「嘉靖 癸亥地筒 重 七十五斤 八両 匠 金石年」という銘文が刻まれている。嘉靖癸亥年の1563年(朝鮮の第13代王・明宗18年)に制作されたもので、重さは75斤8両(45.48キロ)で、金石年が作ったことを意味する。

宝物第861号の場合、制作者が朴命長(パク・ミョンジャン)で、重さが78斤8両と、3斤(1.8キロ)がより重い。陸軍博物館のキム・ソンヘ副館長は「宝物第861号の場合、1982年にソウル陽川区木洞(ヤンチョング・モクドン)地下鉄の埋立作業所に運ばれた土盛りから見つかったため出土地が確実でないが、今回出土地が確実な初めての遺物が発掘されたことにより、仏郎機子砲を導入した時期が明確になった」と説明した。

仏郎機砲は15世紀、ポルトガルを含む西欧諸国で制作され、東洋には1517年ごろ中国・広東地域に西域商船を通じて伝来した。仏郎機砲はその後、小さいサイズに改良され、朝鮮後期の主力火器として使われた。仏郎機子砲と勝字銃筒などは、焚き口が設けられた朝鮮第1号の建築物内にある陶器(壷)の中から出土された。

勝字銃筒は多量がくっ付いた状態で見つかった。漢江文化財研究所のイ・ミョンヨプ調査1チーム長は「こうした火器は民間で所蔵できない武器だったことから、これら建築物は朝鮮時代の軍器寺(兵器などの製造を担当した官庁)の付属の建物とみられる」という見方を示した。軍器寺の跡地は現在の韓国プレスセンターの位置に該当する。

新庁舎の敷地ではこのほか、朝鮮時代の白磁小鉢と粉靑沙器課壷、「内贍」という文字が記された粉青沙器などの磁器類も多量出土した。


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