【その時の今日】日本の「内鮮一体」宣伝に動員された悲運の女性・李方子
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.11.04 12:42
「日本は私を産んだ国、韓国は埋められる国」。
1901年11月4日、日本の皇族として生まれた梨本宮方子。一時皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補として名前が取り沙汰されたこともある彼女は、15歳だった1916年、ひどく驚かされる話を耳にした。親も知らなかった婚約のニュースが新聞のトップ記事に掲載されたのだ。「受け入れなければいけませんか」「お願いします。国のためだと思って頂きたい。軍人は国のために献身する。あなたは武士の娘ではないか」母親は国家のため娘を犠牲にしろという皇后の命令に逆らえなかった。