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【その時の今日】日本皇室博物館長が純宗皇帝謁見…文化財の流出が本格化

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.09.24 10:12
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日帝が昌慶宮(チャンギョングン)の由緒ある殿閣を取り壊して設立した動物園・植物園・博物館の‘三苑’が1909年11月1日、一般に開放された(写真=「写真で見るソウル100年」)。

 
普段から骨董品や文化財に関心がある人もそうでない人も、外国へ行けばよく博物館を訪れる。博物館の遺物がその国の文化を最もよく表しているという通念が幅広く定着しているからだ。文化財はその国と民族の歴史と文化を理解・解釈するうえで核心となる媒体だ。

米国や欧州の博物館を訪れた人たちはその大きな規模に圧倒される。帰国すれば誰もが「立派な博物館があってこそ先進国だ」と話す。しかし残念ながら韓国がこれから数十年間にわたり高度成長を続けたとしても、こうした博物館が誕生する可能性はほとんどない。人類文明の精粋を集めた巨大博物館は帝国主義の膨張の副産物であるからだ。

帝国主義時代の列強の文化財略奪は植民地に関する情報収集活動の一環だった。またそれを集めた博物館は自国の国力を誇示する展示場だった。このため、他国を支配して研究した経験がある国の博物館と他国の分析対象になった国の博物館は根本的に違う。

1908年9月26日、日本皇室直属の帝室博物館総長・股野琢が博物館美術部長とともにソウル入りし、純宗皇帝に謁見した。この頃から日本の韓国文化財‘収集’活動が本格化した。彼らが韓国文化財を正当に収集したかどうかを問うのは無意味だ。彼らは拾う・盗む・奪う・もらう・買うのあらゆる方法を動員した。

併合直前の1910年4月には大韓帝国帝室博物館の末松態彦部長に全国の文化財を収集させた。郡守には「宝物を持つ人民にはそれを郡庁に持って来させて、由来と歴史を詳しく説明させろ」という訓令を出した。こうして収集された文化財の多くが日本に流出し、植民地支配後にも文化財の搬出は続いた。

1909年11月に開館した大韓帝国帝室博物館は日本の韓国文化研究を助ける役割をした。したがって今年11月の韓国博物館開館100周年はひたすら喜べることではない。友愛主義を打ち出した日本の鳩山新内閣は過去の問題にも前向きな姿勢を見せると予想される。韓国政府も対日関係の改善に積極的だ。しかし独島(ドクト、日本名・竹島)・慰安婦問題のほかにも両国が解かなければならない宿題はたくさんある。

                     チョン・ウヨン・ソウル大病院病院歴史文化センター研究教授

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