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「韓国は子供たちが一生暮らしても良い国」日本人一家の帰化(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.09.13 08:59
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自分が生まれた国を捨てて他国の国民になる帰化はたやすいことではない。韓国人が日本に帰化する事例は容易に見ることができる。在日韓国人たちが生き残るために取る方法が「帰化」だった。反対のケースである日本人が韓国人になることは極めて珍しいことだ。帰化と係わる統計を生産する法務部さえ別に分類しないほどだ。マサシさん(左)一家が12日、自宅近くで散歩をしている。右から夫人のカズコさん、長女サトエさん、長男クニヒロさん、次男ダイキさん、次女アリナさん、三男タツヤさん。大田=チェ・ジョンドン記者



「住民番号をもらればインターネット認証が容易になります」--。

 
2008年度、出入国・外国人政策統計年譜(法務省発刊)の韓国国籍取得現況には帰化者の出身国を中国、フィリピン、ベトナム、モンゴル、パキスタン、タイ、ウズベキスタンなど7カ国とその他の国家に分類した。先進国よりアジア国家出身が絶対多数だ。独島(トクト、日本名:竹島)研究者として「独島は韓国領」であることを学問的に立証することに尽力してきた保坂祐二世宗(セジョン)大学教授程度がそれさえも知られた帰化人だ。中央SUNDAYは、最近、法務部に夫婦と子ども5人の家族7人が韓国国籍取得を申請したヤサノセマサシさん一家に12日に会い、事情を聞いた。

大田市儒城区鳳鳴洞(テジョンシ・ユソング・ポンミョンドン)に暮らすヤナノセマサシさん(47)とカズコさん(46)夫妻が韓国へ来たのは1989年だ。結婚1年目だった2人は青瓦台近くのソウル鍾路区孝子洞(チョンノグ・ヒョジャドン)に新居を構えた。マサシさんは初めは、ねずみ講式販売事業に加入して大きな組職を従えていたが安全性がないことからやめた。日本語通訳・翻訳サービス会社を妻と一緒に設立し、事業者登録までした。韓国で通貨危機を経て、数年前は造景会社の仕事を引き受けながら工事現場があった大田に引っ越した。マサシさん夫婦は20年間、韓国で暮らしながら子ども5人を生んで育てた。一家にとって韓国は近くて楽な国だが、依然として外国だった。「韓国の中の日本人」として暮らして来たからだ。さまざまなことが不便だったが、国籍を変えることは考えすらしなかった。これらの心を動かしたのは20年という歳月とその間に生まれた5人の子どもだった。

「結婚直後韓国へ行こうと言ったのも、帰化をしようと話したのも妻でした。造景会社の仕事は出張が多くあります。妻にすまないこともあってそれに従うことにしました。決意するまではあれこれ悩みました」(マサシさん)

「韓国へ来ようとしたのは韓国語と韓国文化を学びたかったからです。宗教的理由もありました。特に韓国の歴史は本当におもしろい。帰化ですか? それは子どもたちのためです。また一生をここで韓国人として暮らしてもいいという判断したからでもあります。率直に今、日本に子どもたちを連れて行って定着するのも難しいからです。住めば住むほどおもしろく、楽しくなる国が韓国のようです」(カズコさん)

マサシさん夫婦が法務部に帰化申請をしたのは2008年2月だ。これらは韓国に特別な功労がある人が対象となる特別帰化や簡易(結婚)帰化の対象ではない。何の縁故もなしに韓国人になろうとする一般帰化対象者だ。マサシさん夫婦は最近、法務部から「5万件も滞っていて遅くなった」とし、来月10日に筆記試験を受けに来るよう連絡を受けた。申請1年8カ月目にしてやってきた機会だ。法務部出入国・外国人政策本部のキム・ギヨン係長(国籍担当)は「日本人の家族全員が韓国帰化を申請したのは初めて」とし「マサシさん夫妻は韓国語が上手な上、夫婦のうち1人だけ合格すれば良いので簡単に通過するだろう」と話している。


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